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わたしたちのいるところ、ここを選んだあなたのこと

「わたしたちのいるところ」について


その空間の中に佇むちいさな白い家を、脚の長さが違うのにふわりと立っている羊を、無造作に転がっている石を「菜月さんだ」と私は思う。民家を改装したあたたかな食事の空間、日常と近しい色や形の中に溶け込みながらも異質な物としてただひとりそこに形をもって在る。そんな在り方が菜月さんのこの世での佇まいとよく似ている気がする。彼女はちいさく白い、ふわりとここに立つ、ただひとりの創造主。

願いを言葉にしたら、どこかで聞いたことのあるようなフレーズと大差なくて言葉の手触りに怯み思わず口を噤む。菜月さんの絵はそうした言葉にならなかった願いの近くにある眺めだ。絵を前にしているそのときは、言葉にしたら形を変えてしまう願いの真ん中に立つことができる。黙ったまま、ひとりきりで、願いを取り戻すことができる。
「わたしたちのいるところ」がどんなところであってほしいか私たちは問いかけ合うことで、いつしか問いそのものが持つ四方の壁を失えるだろう。キャラメル箱を開くように、崩した積み木を積み直すようにやさしい手指の仕草によって、願いは分かち合えるはずだ。

アルトの町田さんが作ってくれた朝ごはんを食べながら、菜月さんは「世界平和」と言葉をこぼした。
それを聞いた町田さんは「誰かひとりが世界平和を感じていたらそれは世界平和」ということをおおらかな口ぶりで言った。
世界を変えたいだなんて言わずに、ひとりという唯一無二の世界に働きかけているひとが目の前に二人もいる。そうした世界に生きていることを、二人がこのように今生きていることを、誰かに教えたくて私はこれを書いている。読んでいるあなたの現実と地続きで二人がここにいるこの世界もまた等しく現実なのだと、知ってほしい。
アルトのごはんがくれるものはあたたかでこまやかな愛。お腹の真ん中で受け取れる愛だ。
菜月さんが作った「わたしたちのいるところ」と、町田さんがアルトとして続けてきたことはしずかに寄り添い、境目が溶け合っている。
この空間にいるだけで受け取れるものがたくさんあって、同じところにいるということの奥行きを思わずにはいられなかった。
今、出かけてゆくこと、同じところにいることの難しさがあるからこそ、あなたがいるところを大切に選択してほしい。それがどんなところであったとしても、大切に選ばれた現在地が、行き先が、どうかゆたかなものでありますように。


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作品「無自覚のうちに関係している多くのこと」を屋根に投げている様子。

(制作物が室内、屋外いろんなところにあります。作品詳細についてはアルトにある冊子をご覧ください)


ここを選んだあなたのこと


菜月さんと二人で春風にそよぐ竹林を見ながら、私は三人を感じていた。
生まれていないのに、とてもここにいるね。
生まれる前から友だちになりたいひとがいるこの春はただ一度きり。今が特別なのだと教えてくれる存在感として、ちいさなちいさなあなたはこんなにもまばゆい。
次の春はあなたにこの世界の景色を話して聞かせたいな。そんなことを考えていると、未来もいつだって特別なのかとハッとする。自分の中の時間の扱い方がすこしずつ変わってきているのを感じる。生まれようとしているひとも、今を生きようとしているひとも前進する命であることに変わりはなくいつだって励まされているだろうに、あたらしいひとの存在がもつ圧倒的な光量はぼんやりとしたこの視界に確かなあかるさを教えてくれる。
観光も30年続けたら好きな道や景色を教えたくなったり、初めてここを見るひとの話を聞きたくなるものらしい。ここを選んだあなたと話せることがあることは、いつだって生きることのよろこびだ。

いい旅をしていてね。
あなたがここに来ることを楽しみに待っているよ。


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