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#日記
今、今は今でいいのだと頷く
出かける予定がぽぽぽと灯り、この道は確かに春へとつながっているのだと思える。術後3ヶ月になるが経過は良好で身体が癒えてゆく力を日々感じる。体勢によって自分の鼓動にふいに気づくあの瞬間だけ身体は生きているわけじゃない。どんなときも絶え間なく古くなり、新しくなってゆくこと、そのことへの惑いはちっともないのだ。身体はそんな感じ。私は、うーん、最近はねむるときが一番好き。でもいつか、眠れない夜のためにも
もっとみる3月の上澄み(甘じょっぱい)
人生がひとつの本だとして、自分のそれが何のジャンルに分類されるかがうっすらわかってきたような気がしながら歩いていたら、いつのまにか春のあかるみに辿り着いていた。
わかりたいのに読めない。明かしたいのに書けない。ここに来て一層この世が観光地然として瞬いてみせる。ようやく住み慣れてきた地でもう一度、言葉を失うということ。割り切れなさからはじまるものでしか越えられないものがあると信じている。
空を振り
うれしいって言っていい
今日はじめて、職場で「戦争」という言葉を聞いた。
絞られた声に言葉にならないものまでも聞いてしまったような気がして、エプロンをつけた自分のまま僅かに狼狽えた。
同じ不安をマスク越しに吸い込んでいる。その瞳でその指で同じかなしみにふれている。
本を読む、花に見惚れる、手紙を書く、歩いて出かける、人とぶつかり謝りあう、手紙を受け取る、あたたかいふとんの中で泣く、すきなひとに会いにゆく、かなしみをすこし
明滅への応答、安寧の水辺、手を握ること
ゆっくり明滅しているものが見える。
「見える?」そう尋ねられているような気がして「見えます」と言う代わりにしっかり頷く。そうするとまた同じようにほの明るく灯り、しずかに消えてゆく。見えますってもっと伝えるためにはどうしたらいいんだろう。見えていることをわかってもらいたいと思うのはどうしてだろう。きっと、消えないでほしいからだ。見えます。見えているから、消えないで。目をひらいて、そこまで向かうからも
これらはすべて大事なきれいごとである
「無題」
わたしのすきなひとが
しあわせであるといい
わたしをすきなひとが
しあわせであるといい
わたしのきらいなひとが
しあわせであるといい
わたしをきらいなひとが
しあわせであるといい
きれいごとのはんぶんくらいが
そっくりそのまま
しんじつであるといい
『えーえんとくちから』 笹井宏之 (ちくま文庫) より
どうしてきれいごとだなんて言うのだろうと言葉の傍らで首を傾げていた。
一生涯を風にめくれて笑うピクニックシートとする
もう何度も出会っているけれどまた会いたくて、会えるようにと願って出会ったらやっぱりうれしくてまた会いたいと思う。
これがわたしたちの別れと出会い。
咲くのが待ち遠しい花のように、食べ終えることがさみしくなるくらい美味しいもののように、遠回りして会いにゆく道程のすべてはわたしの、わたしたちの眼をひらかせ、ここに立たせてくれる。
どうしてこんなにもうれしいのだろう。
思考やさっきまでの気分を易々と越え
日記(チョコレート一枚分のエスケープ)
「どんな夢をみてた」
立ち上げた画面に残っていた文字は、昨日生まれの問いだ。
昔いた人の消しのこした夢がわたしたちかもしれんね いいね (雪舟えま)
わたしはどんな夢を生きているんだろう。
そんなふうに今ここにいる自分を遥か頭上から見下ろしてみることがある。
生きていると、ここまで握りしめていた夢を「叶えることを選ばないだろうな」とふとわかる瞬間が訪れる。憧れや夢や約束が自分の進むレーンの