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公開文通「百年の散歩」はじめます
ぼくらの会話が潰えたとして
この道のあかるさに変わりはないように
平らな道に転べる体の容易さを
ぼくらなら愛するだろう
ぼくらなら歩きながら
そうするだろう
『舟』(2019) 収録「百年の散歩」より
http://ikdayn.main.jp/?p=750
「歩きながら話そうか」
どちらともなくそう言って、いろんな町でいろんなひとと並んで歩きながら話をしてきた。喫茶店で向かい合うのも、改札前
4通目_公開文通「百年の散歩」01.この星にあってほしいものについて、中村菜月さんと
彩乃さん
おはようございます
お手紙たのしく書いております
離乳食の味も覚えている人間なので、幼少期のこともとてもよく覚えております。忘却があまりないので、たぶん、じぶんって幼児がそのまま大人になったかんじなんじゃないかなあと思います。
愛かあ…… と考えました。愛、何でしょうね。ちょっと考えたときに「犠牲」という単語が浮かびましたが、そうでもあるしそうでもない……と思いました。
「自分」と
5通目_公開文通「百年の散歩」01.この星にあってほしいものについて、中村菜月さんと
菜月さん
こんばんは。
離乳食の味も覚えている……。やはり記憶のプロセスが根底的に自分とは違う気がします。わたしはディテールを覚えるのがすごく苦手で。精巧さには欠けますが、自分の中で記憶は言葉と結びついた形で残っています。
そうですね、愛することは自分を切り分けて差し出すことかもしれない。愛の中の母性がまさしくそれなんだろうなと思いました。
わたしも渡すことで返ってくるものがあってそれで満たさ
6通目_公開文通「百年の散歩」01.この星にあってほしいものについて、中村菜月さんと
こんばんは
ゆにちゃんが初めておっぱいから直接お乳を飲んでくれて感動しながらのお返事です
記憶って言葉のひととか、映像のひととか、いろいろらしいですね。絵を描く人は視覚系が多かったような。わたしは体感というか肌感というか、たしかにけっこうリアルなかんじ、です。
7通目_公開文通「百年の散歩」01.この星にあってほしいものについて、中村菜月さんと
菜月さん
こんばんは。
愛と自己犠牲、人々の群れの中で生きていくにあたってわりとみんなの共通テーマなんじゃないかなって思います。
「自己犠牲」の対義語を調べていたのですが「自分勝手」や「自分本位」が出てきて驚いています。どっちを選んでもいまいちな感じしますね。こんなとき言葉のこと信頼できないなってすごく思います。
8通目_公開文通「百年の散歩」01.この星にあってほしいものについて、中村菜月さんと
彩乃さん
こんにちは。こんにちは、と書き始めて、わたわたとしていたらこんばんはになり、また次のこんにちはになっておりました
自己犠牲にまさか対義語があったとは驚きです。そしてしっくり来ないですねえ……笑
何事にも逆のことが存在するとは思い難いです。言葉ってすごくすきなのですけれど、ほんとうの感情を限りなくそれに近づけて表現する手段で、すべてが比喩なのかあとも思います。こう書いて、中学に入学した
9通目_公開文通「百年の散歩」01.この星にあってほしいものについて、中村菜月さんと
菜月さん
こんばんは。
(時間の概念を取っ払った世界ではどんな挨拶をするのでしょうね、)
言葉のこと仕事にしていますが「そもそもすべては言葉ではなかった」ということを忘れないようにしたいです。
これはいろんなところでくりかえしぶつぶつと唱えているのですが、的確に表そうと悩んでいる間にいつのまにか忘れていたりします。
「お腹がすいた」は大事なことなんだなあ、とゆにちゃんの「言葉の前の言葉」を知っ