なぜ日本人は自分を犠牲にするの?
これは海外のお友達に言われた言葉。
「日本人はとても礼儀正しいし、マナーがいい。人のことを思いやることが出来るし、優しい人が多い。
でも、日本人は時々自分を犠牲にしても他人を優先するよね、それはなんでなの?」
なんでなんだろう、それが日本の一つの文化かもしれない。
そう指摘されたのはつい先週の出来事。
私は家の家主さんに新しいヒーターを購入していいか尋ねるのを迷っていた。
ニュージーランドの冬は本当に寒い
ヒーターを使っている家もあるがそれでも寒い
家の作りが簡単なのかもしれないが、冷たい隙間風が永遠と入ってくる
時々、家の中よりも、外に出て太陽を浴びている方が暖かいと感じるほどです
(なのでニュージーランドに来る際はダウンは必須です)
家主さんがヒーターを用意してくれたが
それでも寒くて、私はもっと暖かいヒーターを購入したいと思っていた
でも、自分でもっと大きいヒーターを購入したいということがどうしても伝えられなかった
その分、電気代も上がるし、家主さんもそんなこと言われたら嫌だろうなという気持ちもあった
終いには寒すぎて、「もう違う家に移りたい」
そう思うようになった
海外の友達に相談したら「寒いんだから言えばいいじゃん」
「交渉してみて、それでよかったらわざわざ家を移らなくてもいいし、5秒で解決することじゃん」
でも私は、その「もっと大きいヒーターを購入して使いたい」といういう一言がどうしても言えなかった
結局は、やっとの思い家主さんに言って家にあった電気毛布を貸してもらうことになってその問題は解決した
そういう細かい自己主張をするのにまだ抵抗があるのは、私は日本人だなーと感じる
そういう葛藤が海外に住んでいると何度も感じることがある
もちろん海外にいる時点で「空気を読む」という人は皆無なので
自分でしっかり自己主張をしていかなければならないのですが
その「空気を読む」ことができる日本人の存在もなかなか貴重な存在だと思う
自己主張をしなさいというこの世界の中で、こんなに空気を読んで相手のして欲しいことをなんとなく読み取ると言うことは、一つの才能だと思う
そして、その才能は世界中で活かすことができる
この介護士の仕事にもその才能はとても大事なスキルだと思う
患者さんには、うまく話せない人、会話が出てこない人、もともと英語の訛りがあってうまくコミュニケーションがスムーズにいかないこともある
でも、会話をしなくても、時々患者さんが何を求めてるのか感じることができるので、何かを持ってきたり、して欲しいことを確認すると
患者さんに喜ばれることが多々ある
「空気を読む」とは相手を思ってのことだし、そうやって人を思いやる気持ちというのは日本人が生まれながらに持った「才能」だと思っている
だからこそ、日本人は海外で輝ける
日本のサービスは世界でNo1だと言われる理由もそうだと思う。
日本のサービスは細かいし、お客さんがわざわざ言わなくても「察することができる人」が多い
私はそういう日本人の特性を美点だと思ってるし、日本で生まれて育ってきてよかったなと思う一つである。
もちろん海外で暮らしている時は、自己主張が必ず必要な時があるが
患者さんに対してはとても素晴らしいスキルの一つだと思う。
そうやって、これからたくさんの日本のケアが好きな看護師の人や介護士の人がニュージーランドで活躍できたらなーと思います。
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