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前書き~西表島の暮らしと、利便性と幸福度は比例しないことについて。

 こんにちは、あやのです。

 わたしは今、東京を離れて沖縄県の西表島に住んでいます。
 前の仕事を辞めたのが2020年6月、それから家で一人でいることが多かったのですが、その中で「もしかすると都会の空気が自分に合っていないのではないか…?」と気づき、こちらに移動してきました。

 そもそもわたしは、田舎生まれ田舎育ちです。コンビニは最近になって歩いて行ける距離にできましたが、本屋さんもCD屋さんもレストランはおろか、ファストフード店もありません。中学校の冬休みに、理科の宿題で「春の七草のうち、3つを持ってくること。ただし、買うのは禁止(=山や道端で採取してこい)。」というトンデモなことを言われるところでした。(笑)
実家を離れるときは都会への憧れもありましたが、2013年から7年ちょっと住んでみて、まあ満足したなぁっという感じです。

 今思い返すと、コンビニの24時間営業が嫌いでした。仕事が忙しくて午前様になってしまったり、緊急の時はお世話になってしましたが、「人間も生き物なんだから、太陽の動きと同じく、朝起きて夜はちゃんと寝たらいいのに」と思っています。日中に太陽の光を浴びて、きちんと睡眠を取ることは絶対に絶対に大事です。それさえ気を付けていれば、心が病んでしまうことは避けられると思います。(昼夜逆転生活でも支障がない人は、そのままでOKですが)

 残念ながら、世の中が便利であることと、人間の幸福度は比例しません。30年前と比べて、技術は著しく進歩しましたが、自ら命を絶ってしまう人は増え続けています。テクノロジーがどれだけ進歩しても、最終的に人間の心を完全に救うことはできない、というのが私の中での揺るぎない結論の一つです。前職は、医療に携わる仕事でしたので、土日でも電話が鳴るような仕事でした。また、コロナが流行る前から、ネットや電話さえ繋がればどこでも仕事ができる環境が整っていました。飛行機の中でも、新幹線の中であっても、我々の仕事はできます。人の命が絡んでくることなので、自分の意志だけでは動かせない部分も多く、致し方ないのは重々承知しているのですが、いま医師が訴えている、「使命感だけではどうしようもない」という言葉は身をもって体感しています。終電の時間になっても仕事が終わらず、会社から自宅までタクシーで帰ることもありました。土曜日も日曜日も、医師からの電話で起きることがありました。終電を逃しても家に帰るためのタクシーは便利です。日本中どこにいても連絡が繋がる携帯電話は便利です。自分で言うのもおこがましいですが、社内の成績は良かったと思います。できることのすべてを仕事に注いでいました。しかしながら、私は幸せではありませんでした。社員のQOLを削ってまで、患者さんのQOLを上げなければいけない会社は、持続可能な会社と言えるのでしょうか。「そんな考えは甘い!」と医療従事者からは叱咤の声が飛んできそうですが、だとしたらなおさら、あの会社を辞めることはわたしにとって最善の選択だったと思います。

 同じように、24時間営業のコンビニは、その名前の通り便利な存在ですが、そこで働いている人も利用者も、本当に望んで24時間営業にしているのか?という観点からは疑問に思います。かつては「明日の日本はもっとよくなる」と信じられていた時代もありましたが、今それを言うには、すでに技術のレベルが飽和しているのではないでしょうか。

 西表島には、石垣島から商品が届くことが多いです。西表島と石垣島を結ぶものはフェリーのみであり、フェリーが動かなければ、商品は届きません。つまり、どうあがいても、ないものはないんです。シンプルにこれだけです。商品を置いていないことが原因で怒るような島の人はいません。ないものはないと分かっているので、あるものを有難くいただくのみです。

 西表島には、本屋さんもCD屋さんもありません。取り扱っている商品も少ないです。しかし、都会のように何かを消費することでしか回せないような、溢れんばかりの情報に塗れた経済圏から解き放たれた、島の人々の暮らしがあります。このマガジンでは島に住んでみて、感じたこと・考えたことを記していきます。都会が発展していく中で取りこぼしていた大切なものが、この島にいるとくさん見つかるんです。

 もし、あなたが都会の生活に疲れてしまったら、ふらっと遊びに来てくださいね。この島では誰でもウェルカムです。このエピソードについては、次でお話しします。

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