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第一夜 東京を離れて分かった、コロナより辛かったもの

 こんにちは、あやのです。

 このコロナ禍において、行く先がどこであろうとも、「東京から来た人」は歓迎されないだろうなぁと思っていました。もうこればっかりは仕方ないなと、腹を括っていました。

 西表島に来て、色んな人から「どこから来たの?」と聞かれました。一つ一つの集落が大きくないので、見知らぬ顔の人がいると、すぐ分かるんですね。「東京からです」と答えると、「コロナかい?」と言われましたが、そこはもう「すみません」と言うしかありません。東京から来たことは、変えようのない事実です。しかし、尋ねてきたおじい(おじいちゃん)は「この島は誰でも歓迎だよ」と笑って、その場を去りました。

 島の人たちは、周りを見張ることをしません。見張る必要がないのです。

 都内では、自粛警察が現れ、電車内で窓を開けて回る人がおり、ノーマスクの人がいないかどうかを監視する視線が常にありました。周りを見て怒っている人、イライラしている人がたくさんいました。それは不安の表れでもあるのですが、別の言い方をすると「周りは自分の敵である」という無意識の決めつけです。これがコロナよりも辛かったのだと、こちらに移動してきてようやく気が付きました。 

 もう一度言います。島の人たちは、周りを見張ることをしません。見張る必要がないのです。怒ることもしません。周りを見張ったり怒ったりする心境をよく覗いてみると、そこにあるのは、「あいつは次回も同じ過ちをするだろう、あいつは自分の害になるだろう」という思い込みです。

 人間は機械ではないので、どんなに意識を張り詰めていてもミスはします。ヒューマンエラーを完全に防ぐことは、ヒューマンにはできません。自然災害のように、人間の力ではどうしようもないことだって起こります。プロローグにも書きましたが、フェリーが動かなければ、西表島に商品は届きません。仕方ないのです。
 お店に商品が置いてなくて怒る人はいません。この「仕方ない」を受け入れて生きているのが、島の人たちです。だから、見張る必要も、怒る必要もないんです。

 フェリーを動かしているのは人です。港からお店まで商品を運んでいるのも人です。ここでは、住民が協力して生活が成り立っています。それがきちんと可視化されています。周りの人たちは害ではなく、当たり前に感謝すべき存在なのです。

 「仕方ない」をなんとかするのが資本主義の醍醐味なのかもしれません。「うちのお店ではコレができる」「この会社なら仕方ないを解消できる」それらは重要な原動力です。でも、そこで働いている人たちは幸せですか?やりがいはありますか?サービスを提供する側も、受け取る側も、感謝の気持ちは残っていますか?周りは敵になっていませんか?「あいつは自分の害になるから排除してやろう」そんな気持ちはないですか?

 西表島には、都会の社会が見落としてきたものが、まだまだたくさん残っていると日々感じています。

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