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拗らせたと思う瞬間


どうも、自称拗らせ女の綾乃です。

皆は「ああ、私拗らせたわ・・・」と
思う瞬間ってありますか?

私は、30歳を迎えてから徐々に思うことが増えてきました。
例えば子供の様な「でもでも、だって」が増えたところや
皮肉な捉え方しか出来なくなってきたりだとか
とくに恋愛面で思うことが増えたように思う。

要は、ビビりになったとでも言えばいいのだろうか

よく、母親に聞かされていた言葉で
「大人になるとビビりになる」
この言葉をここ数年じんわりと理解が出来つつある。

母親というのは
人生最大の先輩だと私は思っているので
当時は理解が出来ずとも
そういうものなのだろう、とすんなり受け止めていた。

拗らせというのは【めちゃくちゃビビリ】の集大成だと思っている。

30歳を過ぎても結婚どころか恋愛もまともに出来ておらず
承認欲求が満たされる夜職を離れることも出来ない人生を
今のところ歩んでいるのだけれど
自分の人生を今振り返ると
結婚を見事に逃し、男にも恵まれず
自分を着飾り商品として稼ぐ方法しか得られなく
自分の欲しい未来が手に入らなくて藻掻いてる人生だな、と思う。

それは今も尚、進行中なのだけれど

ただ、年齢のせいなのか
はたまた病んでるのか
ここ一年程、ずっと天職だと思っていたこの世界に疲れ始め
人の涙を見ても、楽しそうにしている姿を見ても
怒っている姿を見ても何も思わなくなってきている。

ほんの数年前までは
人が泣けばもらい泣きをするような
人が困っていたら自分のことは置いておいて
何か出来ないかと僅かながらに尽力していたような
そんな人間だったのに。

今じゃ全てにおいて諦めを持ち始め
時間が進むにつれて無心を習得して無断に時間だけを消耗している
そんな感覚が辛くて辛くて仕方がない日々を過ごしている。



こういう感覚を皆、経験しているのだろうか。
自分中心で世の中が回っているわけではないのだから
この感覚を味わった事があるのは
私だけだ、なんてことも当然ないと思っている。

もしかしたら拗らせた女です!と自称を語るまでもなく
当たり前なのかもしれない。
だとしたら被害者意識を振りかざしてる
ただのイタイ女かもしれない、というか
そういう気がしてきた。

ただ、まだこの感情になったばかりだから
戸惑っているのだろうか。


私の予定では既に子供は2人は居た。
旦那さんはスーツ着るような人で
一軒家か分譲マンションに住み
旦那の帰宅時間に合わせて飯を作っておく

そんな生活を
もう既に8年程前にはやってると思っていた。

拗らせていない人というのは
こういう未来予想図を描かないものなのだろうか。
描いていたとして、ほぼ描いた通りになっているから
拗らせていないのだろうか。




そもそも
拗らせてる、拗らせてないって
何なんだ・・・あれ?




こんな風に
noteという場を借りて意味のない
自問自答を吐き出させてもらっている。
自分の中だけでグルグルしていたら
余計に気がおかしくなりそうで怖いから


綴っていながらも
文脈がグシャグシャなのもちゃんと分かっている。
自分でも何が言いたいのか
何を考え、どうしたいのかも分かっていないのだから
そりゃあグシャシャになる。

何なら、この記事もある意味テイク2だ。
昨日の朝方に更新していたのだけれど
眠剤少し多めに飲んでしまって余計まともじゃない時に
更新していたから打ちミスだらけの怪文書のようになっていた。

眠剤を飲んでも寝れなかった日は記憶がぶっ飛んでいるから
読み直した時に、自分がとても怖かった。

今(3/14 07:00)は眠剤も飲まずで綴っている。
それでも、こうもグシャグシャな文章。

そんなものをここまで読んでくれている人が居たら
とても嬉しい、そして物凄く申し訳ないと思う。

まだnoteを始めたばかりで勝手が分からないけれど
もう少しだけ、noteという場を貸してください。




また数年後、これらの記事を見返した時「若かったな」と
ちょっと恥ずかしく笑ってしまっているのだろうか。


綾乃



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