人間関係と温度感
人との繋がりで大事なのは、良い関係が築けてお互いが良い結果になれる関係だと思う。それは友情でも、愛情でも、親子や兄弟、友人との関係でもそうあると結果として良いと思う。
温度感の違いは大きな問題になる
以前に起業したいと、相談してきた友人がいた。私は、彼に聞かれることをなんでも答えて、自分のしている仕事や活動の仕事を手伝ってもらった。そこから何かを見つけたり、学んだりしてほしかったという願いのような想いがあった。
しかし、2ヶ月ほどして彼が出した言葉は「やっぱり、ついていけない。起業は諦める」だった。
その時の気持ちとしては、無理させてしまったのか、起業がしんどいものと感じさせたのか、発言に何か問題があったのかと自責で考え、申し訳なかったという気持ちが強かった。
今思えば、彼の中の起業することへの熱意は、私どうこうではなく、そこまで燃えなかっただけだろうと思う。このまま温度差があるままに、一緒にいてもお互いに良い影響は与えないだろうと、彼とはそれ以来会っていない。
温度感が合っている場所にいることの大切さ
起業していることが、偉いことでも、上であるわけでもない。大手企業に勤めて稼いでいること、年齢を重ねていて経験があることなども、人間関係において主張することではない。
大事なのは、同じ感覚や価値観、温度感で居られるかどうかだと思っている。年商で10億稼ぐチームに居るのと、人に貢献できるビジネスモデルを目標にしているチームに居るのは、どちらが自分の温度感に合ってるかで、経過や結果は全く違うものになる。
それは風呂のようにぬるま湯に浸かることでなく、私は自分自身が心地よい環境に居ないと、ベストなパフォーマンスを出せないと感じているからだ。
人によっては、周りのすごいプレイヤーに囲まれ良い影響を受けることが、自分が引っ張りあげられ、テンションが上がる人もいると思うから、その温度感で良いと思う。
しかし、ゆったりした温度感で生きていると、ハイペースで上に生きたい人間が、巻き込もうとか批判してくるのはやめてほしいと願う。
互いを向上するの関係は大切だけれど、そこには絶対的に温度感の調節は必要で、ぬるま湯に熱湯を注がれても熱くてたまらない。
私も起業したいと相談してきた彼に、気づかずしてそれをしてしまったのかなあとふと思うときもあるので、互いの温度感は人間関係のなかで、大切にしたいことのひとつでもある。
心地よいと感じる人
あまり人と居るのは得意ではないので、数少ない友人たちのなかで心地良いと感じる人と居るようにしている。
彼らに共通して言えるのは、自分の好きなことが明確で、それを誰かに強要したり、批判したりひけらかしたりもせず、ゆったりのんびり過ごしていること。
見ていてとても楽しそうで、興味も沸いてくる。本人たちはとても楽しそうだからだ。もちろん彼らは、自分でビジネスをして楽しんでいる人もいれば、会社で働きながら趣味に没頭している人も居る。
こんなゆったりとおおらかに過ごせる温度感の人は、非常に心地よく、尊敬しつつも自分もそうありたいという向上心が芽生える。
温度感の調整
温度感違うから離れたいけど出来ないという状況は、人生においてよく起こる。会社の上司だったり、夫婦だったり、なかなか離れようとすぐに決意できない場合もある。
そこで、できることといえば、温度を調整できることを考えることではないかなと思う。
会社の上司で、やたらと売上に関して熱くなる人なら、その話題になったときは自分の温度感はぬるま湯でなく、水多めのだいぶ引き気味で対応する。
逆に自分が熱くなる話題のときは、冷静な態度が多い友人に話すと、すっと熱意が治まる。それが温度感違うとなる場合もあるが。
何にせよ温度を調整することは、相手にとっても自分にとっても良い結果になりやすい。
今の自分を変えたいなら温度感の違う場所に行く
さっきまでの話とは逆に、今の自分を変えたいと感じることが、人にはあると思う。そんなときは、自分とは全く違う環境に飛び込んで、熱湯ジャーっと浴びるのも、良い。
熱湯浴びて、ちょっと火傷することは、死なない程度の経験や自分の価値観を再認識できるきっかけにもなる。
私も好奇心に負けて、熱湯を浴びまくったら、大火傷ばかりおってきたおかげで、ようやくぬるま湯の心地よさに気づけた実感もある。
これから先、残りの人生半分は、ゆったりと時にしっかりと温度感を時々に確認しながら進みたいと思う。風呂にはいって、ひと息つこう。
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