見出し画像

見どころは「何もないところ」

去年の5月、私は「観光しない京都」という旅の楽しみ方を知った。

「観光しない」と決めただけで、これまでわざわざ足を運ぼうと思わなかった土地へ行くきっかけが突然訪れる。

米原の水田に魅せられて、滋賀をもっと知りたい、祖母が住んでいたあの土地を、大人になった私がじっくりと全身で感じてみたい。そんな風に思った。

そして1年後の5月、私は祖母の家の前に立っていた。
汲み取り式のトイレも洋式のトイレになり、ほとんどの畳はフローリングになった。
それでも外観は全く変わらずに古い町屋のままだった。

もう祖母はいないけれど、遠くから丁稚羊羹がたくさん入ったビニール袋をぶら下げて、私を呼ぶ声が聞こえるような気がしてしまう。



割と最近まで、滋賀県にある日野駅から祖父母の家までは車でしかいけないとばかり思っていた。

幼少期、夏になると必ず祖父母の家に遊びに行っていたのだけれど、東京にある自宅から、電車や新幹線、バスなどを乗り継いで約8時間の長旅となるため、うんと遠くて、うんと大変で、乗り物酔いが激しかった私や弟は、新幹線で毎回真っ青な顔をしていたのをすごく覚えている。
新幹線こだま号でやっと米原駅に着いたと思っても、そこからまた電車に乗り換え乗り換えで、最後はトドメのタクシーかバスだ。
もう吐き出すものもすっかりとなくなって、半分魂が抜けたような私と弟は、祖父母の家に行くことがとにかく苦痛でしかなかった。
それでも毎年親に着いて滋賀まで行ったのは、あの土地でしか味わえない、日野の暮らしの素晴らしさを、子供ながらに感じていたからかもしれない。
兄は早い段階から自宅に居残る選択をしていたので、自宅で勝手に子供だけの夏休みを過ごすことも可能であったけれど、それを選ばなかった理由が、あったのだと思う。

祖父母の家までいざ行ってみようとGoogleMapsで調べてみると、日野駅から約6キロ程度だったことに驚いた。
大人になり、ランニングを趣味とするようになってからは、10キロ以内なら遠いとは感じない。
景色を見ながら歩いたり走ったりして行くには、片道6キロはとても都合の良い距離に思えてきた。
だから私は、日野を走ってみることにした。
目的地は祖母が住んでいた家。

祖母はもう住んでいないし、もう二度と来ることがなかったはずのこの日野を走って全身で感じたいと思ったのにはもう一つ理由があった。
それは『遅いインターネット』というWEBサイトの「ひびのひのにっき」という連載を読み、日野が懐かしく恋しくなったからだ。

特別に何もないことは知っている。でも、特別なことなんて何も求めていない。だって私は、観光しない京都の旅で、土地そのものと向き合い、触れ合う楽しさを知ってしまったのだから。

この話を走る仲間たちにしたところ、「ひびのひのにっき」の大ファンなので同行したい。と仲間の1人M氏が声をかけてくれて、急遽2人で走る日野の旅となった。

午前8時過ぎに、私たちは南草津駅で待ち合わせをした。
夜行バスで新宿から来た私と、京都駅から電車で来たM氏。
合流するとまずは電車で貴生川駅まで向かった。
貴生川駅のコインロッカーで荷物を預け、悩ましい顔のたぬきと挨拶をする。

2両しかない列車、近江鉄道本線に揺られて日野駅を目指す。
車窓から見える水田が美しい。線路沿いに並ぶ水田が、キラキラと光っている。

この美しさは、まだ水面が見える、植えて間もないこの時期ならではなのかもしれない。
葉に落ちるしずくが美しいと感じるのと同じ美しさだ。
私が東京で毎日のように乗っている電車の窓からは絶対に見れないこの景色。
これを見れただけでも、もうすでにここに来て良かったとさえ思える。

子供の頃は長く感じたこの電車での時間も、今の私にはあっという間だった。
景色を眺めていたいから、もっと乗っていたかったと純粋に思った。

そして日野駅に到着すると、一気に懐かしさが込み上げてきた。改札はまだ自動ではない。あの頃のままだ。

ここまで来て告白するのだけれど、実は祖父母の家の住所を私は知らない。
Googlemapsで調べたときも、近くにあった床屋と郵便局でなんとなくここだろうという場所を目的地にして調べていた。
まさか同行者が現れると思っていなかったので、なんとなく、気の向くままに進めば良いかなと考えていたのだけれど、この事実をM氏に告げたときはさすがに少し気まずかった。

それでも、私よりずっと年下なんだけれど旅慣れていて計画性のあるM氏は、なんとなくの場所を目的地に合わせたGooglemapsを見ながら、普通の車道ではなくて、ちょっと面白くなりそうな複雑な道を選びながら先導して走ってくれた。



この先に道が続いているのだろうか。少しばかり不安になりながらも、森と水田に挟まれた細い道を、目的地の方向に向かって走り続けた。
こんな道を歩いている人なんていないし、走ってる人なんて絶対に不審すぎる。

もしかすると行き止まりかもしれない道をひたすら進み続ける。

すると突然、ある生き物と遭遇した。

猿のお尻って本当に赤いんだね!
猿を見つけて発した私の言葉である。
何もないはずのこの旅で、初っ端からこんな出会いがあったことにとても興奮していた。
そしてその興奮と喜びをうまく言葉にできなかった私は、猿のお尻が赤いことしかM氏に伝えることができなかった。

近づいてみると、10匹以上の猿が茂みからたくさん出てきて森の中へ逃げていった。
猿は本当に木登りが上手で、回転してみたり、枝から枝へと飛び移ってみたり、色々な技を私たちに披露してくれた。ちびっこお猿も現れて、まるで私たちがここに来たことを歓迎してくれているようだった。

ずっと見ていたいけれど、早々に猿に別れを告げて、私たちは再び走り出した。
実はこの旅には制限時間があって、13時過ぎに日野駅から再び電車に乗り、京都駅へと向かわなければならなかったのだ。
猿に会ったのは午前9時。まだまだ時間はあるものの、復路は疲れて歩く可能性を考えると今はあまりのんびりしていられないのだ。
電動田植え機と思われる働く車に見惚れながら、このエリアを後にした。

Googlemapsを開き、多分この辺だろうという祖父母の家を再び目指す。

しばらく進むと「鎌掛」の文字がでてきた。
日野町鎌掛、私が覚えている住所の全てだ。
かなり近づいている。
自然と高鳴る鼓動と予想以上に進む時間。
途中で引き返して、ダムにでも寄って帰ろうかなんて話したりしていたけれど、心のどこかで今いかなかったら一生行かないだろう祖父母の家のことを想う。
振り回したくないけれど、でも、私が望むように進まなければ来た意味がない。
そう思って、M氏に自分の思いを伝えた。
「行きましょう」間髪入れずに言ってくれたその言葉に、背中を押された。
そして私たちは、再び走り出した。

しばらく走ると、住宅街に入った。
すると、なんだか懐かしい匂いが漂っていた。
夏に過ごした、日野の匂いだ。
見覚えのある床屋さん。あの頃のまま存在していた。多分この辺りに、祖父母の家がある。
1人でただただ興奮していた。ついにここまで来たんだという喜びでいっぱいだった。

そして角を曲がると、祖父母が住んでいた町屋が見えた。
ご近所さんと少し話しをして、不審者でないことをアピールした。田舎で知らない顔のものがウロウロしていると変な噂される可能性があるため、そこはしっかりと説明した。なぜなら祖父母の家は今、母の弟夫婦が住んでいるからだ。
母の弟夫婦は少し前に外出して今家にはいないとのことだった。
家の中にお邪魔できたら、「ひびのひのにっき」に登場した上がり框をM氏に見せてあげることができたのにな。って少し残念に思った。

勝手に敷地に入るのもよくないので、家周辺をぐるりとだけして、私は子供の頃の記憶と重ねた。
裏の畑から、背中を丸めた祖母が、
「あやちゃん、よう来たね。」って、歩いてくるような気がした。
多分この時、私はきっと子供のころのような顔をしていただろう。
私は祖母が大好きだった。

目的を達成したときには、もう約8キロほど走っていた。じめっとした暑さにもやられて、疲れを感じ始めた。
どこかでお茶でもしたいな。そう思っていると、何もなかったはずのこの鎌掛に、一軒のカフェが誕生していた。

チーズケーキとアイスコーヒーで、疲れた体を癒す。自分の中の日野の記憶が更新される。
私の住む街にマンションやお店が増えているように、日野も若い人が入るようなお店が増えたりと変化していた。
鎌掛は日野の端っこにあって、日野の中心とされる場所はたくさんのお店が並んでいて、割と賑わっているそうだ。
お店の人と会話をしながら、今の日野を知っていく。

少し休んで充電した私たちは、時計に目をやりながら、ダムに行って日野駅に戻ることにした。
Googlemapsを見ながら、再び走ったり歩いたりしながら進む。
すると、怪しげな建物が見えてきた。
「旧鎌掛小学校」だ。
M氏は廃墟ではないかと言ってきたけれど、なんとなく人がいる気配がした。
そこで私たちは、建物の中に近づいてみることにした。
すると、そこはアニメの舞台となっている小学校で、聖地巡礼に訪れた人のために見学ができるようになっていた。

誰かにとっての聖地。そこは、私の母が通った小学校だった。
東京にいる母にLINEをするも、特に何の反応もなく、ちょっと淋しくなった。これじゃあ何だか私が母の熱狂的なファンみたいな行動をしているなと思い、笑えてしまった。

小学校の中をぐるりと見学し終えた私たちは、ちょっと時間に余裕がなくなってきたため、再び走りながら日野川ダムを目指して走った。

突然ニワトリに囲まれたり、都会では信じられないようなことがふつうに起こる。
誰かにとっての当たり前は、誰かにとって特別な瞬間だったりするからおもしろい。
目の前にある道をただ歩いたり走ったりしているだけなのに、私にとっては特別な時間だった。

この瞬間以外のことが全て、頭の中から消えていた。ここが圏外でスマホが機能しなくても、地図さえあれば問題ない。
四六時中繋がっている世界から抜け出したこの時間に、なんともいえない心地よさを感じていた。

目の前の苔の美しさについて、いつもは考えたりしない。
頭の中にそんな余白ができているというのだろうか。いつもごちゃごちゃしている頭の中が、とにかくスッキリとしていて、心の中もスッキリとしていて、ストレスとか、トゲトゲしたものが全くない時間だった。

そして、ダムに到着した。

日野川ダムに到着したときには、乗らなければならない列車の時間が迫ってきていたので、ゆっくりできなかった。
だから、このダムについてはあまり覚えていない。
あんまり詰め込むのはよくない。
これじゃあただ目的のものだけをひたすら見て回る観光ツアーにきているのと同じような気がして、すごく勿体無いなと思った。

時間が迫ってきた私たちは、バスで日野駅まで移動することにした。

走り疲れたのと、目の前にある雑草の上が気持ち良さそうだったので、バス停の前で寝転んだ。
見上げた空は曇っていたけれど、心の中はスッキリと晴れていた。

M氏とは一緒にいたんだけれど、お互い勝手に自分の時間を過ごしている感じで、それがまた心地良かった。
私の世界を邪魔しない。だけど、M氏はチラチラと別のものが見えることを教えてくれて、自然に私の視界を広げてくれた。

だから、今回の旅でM氏にはとても感謝している。

バスに揺られて、日野駅に戻ってきた。
たったの4時間くらいだったけれど、私の中では数日この土地で暮らしたような気持ちだった。



旅に出ると観光しなければならないような気になってしまうけれど、そんなことはない。
何もないかどうかは人それぞれで、誰かにとって何もないところが、誰かにとってはいろんな物事がありすぎる場所だったりする。

だから、何もないところで、ガイドブックには載っていない、自分だけが大切にしたい場所を、もっと見つけていけたらいいなと思っている。

すべてはここから始まった。

この記事が参加している募集

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?