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12本のバラをあなたに 第二章-2

 机の上に置いてあるスマホに目をやると、タイミングよくメールが来た。
遼子りょうこ先生と一緒にビルを出ました。今日は駅前にある立ち食いソバのお店に寄ります』
 深雪からの報告を読み終えてすぐ帰り支度に取りかかろうとしたら岡田おかだの声がした。
「メール来たんですね」
「ええ。今日は立ち食いソバを食べに行くみたいです、二人で」
 机の向こうで書類の山を整理している岡田に目線を向けると、ほっとしたような顔をしていた。が、すぐに表情を引き締めた。
「これで、本当に良かったんですか?」
 向けられた目は不満げだった。
 遼子に愛を打ち明けた夜から数日が経つ。この間なるべく遼子と顔を合わせないよう岡田と深雪に協力を求めたところ二人は承諾してくれた。が、岡田は納得できていないのかもしれない。別所べっしょは岡田の黒い目をまっすぐ見つめ口を開く。
「これで良かったんですよ」
 遼子は生真面目だ。あの夜のことで自分に対し後ろめたい気持ちを抱えているのは容易に想像がつく。だから良好な関係を築いている深雪が側にいれば彼女の気を紛らわしてくれるに違いない。他力本願ではあるが、遼子が会社を去る日まで余計なことで心を乱してほしくなくて別所は深雪に頼んでいたのだった。
「岡田。君には申し訳ないとは思っているよ」
「えっ?」
「だって最低でもあと一ヶ月は一緒に食事をとれないわけですから、深雪くんと」
 岡田が不満に感じていることと言えば、それしか思い浮かばない。ところがそうではなかったらしく、岡田は呆れたような顔をした。
「そんなことはどうでもいいんですよ。俺が不満なのは一度振られたからといってすぐ諦めたことです」
 岡田は諦めが悪く、振り向かせる方法を間違えたことで深雪から軽蔑の目を向けられていた。しかし篠田しのだのパーティーの夜、何があったのか二人の関係はいくらか修復したらしく、よく言えば友人以上恋人未満、悪く言えば付き合っているのかいないのかわからない状態だ。足掻いて足掻いてようやく深雪と恋人になれそうなところまではい上がった岡田から真摯なまなざしを向けられ心苦しくなってきた。本音を言えば諦めたくない。が、篠田から聞かされた話で今は「引く」べきときだと悟ったのだ。
「諦めてはいませんよ。でも、今は「そのとき」ではなかったということです」
「意味がわかりません」
「君だって経験があるはずだよ。なんにでも押すべきときと引くべきときがある」
 岡田は思い当たることがあるのか、ハッとした顔をした。
 そう、今は引くべきときだ。遼子の気持ちが落ち着くまで、過去に負った痛手がまだ癒えていない彼女が、自分と同じように乗り越えるのを待つしかない。
「さて、そろそろいい頃合いだ。きっと今頃遼子先生は深雪くんとおいしいソバを食べているだろうし、僕たちもうどんでも食べていきませんか?」
 笑みを向けると、岡田は苦笑いした。
「もちろんおごりですよね、社長の」
「ええ。寒くなってきたし温かいうどんを食べて帰りましょう」
 帰り支度を済ませエレベーターホールへ向かおうとしていたら、会社の受付に見知らぬ男がいた。
 受付を担当している人間は帰社したはずだから当然いない。なのにスーツ姿の男はカウンターのあたりをうろうろとしているものだから不審に感じて仕方がない。別所は岡田とともにダークグレーのスーツを着た男に近づいた。
「弊社にいらした方ですか?」
 別所が慇懃に尋ねると
「こちらに麻生遼子あそうりょうこという弁護士がいるはずですが、会わせてもらえないでしょうか?」
 男は憮然とした態度で答えた。突然遼子の名前が飛び出したものだから、別所は驚く。
「大変申し訳ございません。麻生はすでに帰宅しました」
 答えたのは岡田だ。
「もしよろしければ名刺をいただけますか? こちらに来ていたことを麻生に伝えますので」
 そつなく岡田が聞いたら、
「いえ、また来ますので。では」
 正体不明の男は目の前から去った。
「遼子先生に会いに来たのは仕事ではなさそうですね」
 声を潜めて岡田に言うと、
「俺もそう思います。念のためあいつにメールします」
 着ているコートのポケットからスマホを取り出した。
「あいつ」とは深雪のことだろう。岡田が深雪を「あいつ」と呼んだことも気になるが、今さっき顔を合わせた男のことが気になって仕方がない。
 年の頃は三十代後半から四十代。几帳面そうな雰囲気の男だった。
 弁護士としての遼子を尋ねて来た男。といって思い浮かぶのは元のクライアントだが、遼子がうちに来る際、補佐をしていた弁護士に仕事をすべて引き継いだと言っていた。それにもしもかつての依頼人が仕事で彼女に連絡することがあるのなら、メールや電話を使ったっていい。そこまで考えを巡らせていたら、どうしてなのかわからないけれど遼子の別れた夫ではないかと思い浮かんだ。
「まだ店にいるそうです。帰る方向が同じなので理由をつけてマンションまで送りますと返ってきました」
 思案している間に深雪から返事が来ていたらしい。
 いずれにせよ、遼子がいないことを教えたら用はないとばかりに逃げるように去ったから嫌な予感しかしない。本音を言えば今すぐにでも遼子の後を追いかけて自ら送り届けたいができないことが苛立たしい。別所は内心で臍を噛む。
「岡田、頼みがある。今すぐ深雪くんと遼子先生のところへ行ってください」
 岡田に目を走らせると、彼はハッとした顔をした。
「わかりました。行ってきます」
 ただ事でないと感じたのか彼はすぐさま表情を引き締めて、エレベーターの脇にある階段へ向かったのだった。

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