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20代の私を成仏させる

昨日、用があって聖蹟桜ヶ丘に行った。
1年半前に再び東京に引っ越してきてから、住んでいるエリアが遠いのもあり郊外にはあまり行くことがない。
聖蹟桜ヶ丘は独身の頃、東京の郊外に住んでいたとき以来、おそらく10年ぶりくらいに訪れた。

行くまではそのことに何の感慨も無かったのだけど、聖蹟桜ヶ丘の駅に降り立った瞬間、なんとも言えない気持ちになって怯んだ。

「郊外」とごまかしたが、昔住んでいたのは多摩地域だ。
新卒で入った会社がその辺だったから。
そしてその数年間は、正直言って私の人生ではあまり語りたくない過去だ。

意気揚々とベンチャー企業に入社したけれど、仕事ができない自分に直面し、腐っていた。自分のことをちっとも大切にしていなかったあの頃。

目的地まで歩きながら、20代の頃の私を成仏させよう、と思った。
せっかく再び東京に来たのだから。
それは聖地巡礼的なものなのか(いや絶対使い方違うけど)、弔いというべきか、どうすればいいのか、今のところはまだよくわからないけど。
東京にいるのは期間限定だ。
その間に、あの頃の私と向き合って、成仏させてあげよう。
そんな気持ちにさせてくれた多摩の空気感みたいなものを感じながら、前を向いて歩いた。

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