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我が家の不登校児の幼少期のお話(実は小学校編) #3

前回はこちら💁🏼‍♀️

今回小学生になっちゃって、#3で繋げようと思ってたのにもう幼少期じゃないじゃん!タイトルどうしよう…となり、
死ぬほどセンスないタイトルに。爆

そんなこんなで無事小学校に入学した息子。

私の記憶では最初の方は訳もわからずなんとなーくみんなと同じように普通に通ってたような気がしてたけど、
当時の旦那とのラインを見返すと、友達関係で悩んでた様子や、行きたくないけど頑張って行ってる様子が…😢

マイペースすぎる。
一斉指示が通らない。
忘れ物や無くし物が多い。
話を聞いてるのか聞いてないのかわからない。

懇談会で言われるのはいつもこれだった。

おいおい…と思いながら、もうちょっとしっかりしてくれないもんかなぁと思ってたし、実際口うるさく言ってた。

この頃本当に私が困っていたのは、息子が
“何が嫌なのか、なんで嫌なのか”がとにかく説明できず、嫌だったり困ったりすると何も言わずに固まったり泣いたりしてしまうこと
だった。

そんな息子に対して私は
「何でいっつもそうなの?お母さんは超能力者じゃないんだから言ってくれなきゃ何もわからないよ💢」って…
あーなの?こーなの?って質問攻めにしたり、
いつもめちゃくちゃ怒ってた😭

私が怒ると余計にその場が拗れるんだけど、
ウジウジ、グズグズハッキリしない息子にとにかくイライラしていたし、自分の怒りの感情をコントロールできないでいた。

宿題とかもやたら時間かかってたり、少しのことで泣いて怒ってたり。
小学生になってやたら育てにくさが増してきたな…と、ずっと悩んでいたんだよね😢

子どものことが大事だからこそ悩んでいたのに、私のその気持ちはイライラとなって爆発しては息子にぶつけてしまっていて。

ちゃんとさせなきゃ!
正しいことを教えないと。
世の中甘くないよ!
少しのことでへこたれるな!
何でこの子はいつもこうなの?

みたいな親だった。

特性だからだよ…と思う今、
書いてて自分の酷さにがっくりくるけど。

『もう小学生なんだから、もう少ししっかりして欲しい』

『言いたいことは自分の口でしっかり伝えられる子に育てなきゃ将来この子が困る』

きっとそんな想いが根底にあったんだと思う。

1、2年生とこんな感じで、たまに休ませたり遅刻したりしながらなんとか過ごしてきたけど
3年生になって本格的な行き渋りが始まって。

これまで通りに少し休ませたりしてもなんだか調子が戻らなくて。
それどころかどんどん事態は悪化して。

そりゃ行けなくなるのも時間の問題だったよね。こんなにずっと頑張ってきたんだから。

本格的な行き渋りに親子で疲弊し、運動会まで何とか頑張って、ついに力尽きた我が子。

このあとスクールカウンセラーに繋がり、そこで初めて発達検査を勧められることになります。
(検査結果は凸凹差30、まだ未診断だけどASD傾向ありかなと認識してます)


息子は知的に問題はなかったし、マイペースさはあったもののトラブルも起こさず悪目立ちすることもなく、困り感を分かってもらえない中ずっと頑張ってきたんだよね。

私もそれを息子の根性がないからとか、何でこんなに頑張れないんだと思ってたし。

この辺りのこと思い出すと、私はこの子の何をずっと見てきたんだろう…と、あまりの自分の無能さに辛くなってくる😭

私も必死だったんだけどね。
どうしたらいいのかわからない中、ワンオペで家のこと子どものことを全部1人で背負って。

不登校初期のパニック期もこの時期に匹敵する辛さだったけど、また機会があったら書こうかな。

長文読んでくださりありがとうございました🌷

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