ラスベガスで見た車椅子

 六年ほど前、アメリカのラスベガスへ旅行した。そこではスーッと滑らかに自転車ほどの速度で走る車椅子を頻繁に見かけた。椅子に座ったまま走るように移動できているので、むしろ快適そうな雰囲気があった。
 日本の街なか、東京や横浜や名古屋や大阪などと比べると車椅子を見かける頻度は明らかに高かった。戦争などの影響でそれだけ身障者が多いということかもしれないが、広い街や商業施設内を素早く移動する様子が、傍目には便利そうですらあった。ラスベガスの中華料理店で列をつくって待つ間にも、同じ列にその車椅子ユーザーを見かけた。もし室内で座って動ける電動キックボードのような乗り物だとしたら、身障者でなくても移動の際に使ってみたくなる風情だった。

 日本でたまに車椅子を利用されるかたを見かけると、動きにくそうにしておられる。大きな車輪を手でこいで動かすのが大変そうだ。電動車椅子もあるのかもしれないが、日本では目にする機会が少ない。数日過ごしただけのラスベガスで頻繁に見かけたのとは普及度合いが全く違う。日本で数十年暮らしているが、あの便利そうなラスベガスの車椅子は一度も見たことがない。

 なぜ日本では便利な車椅子が普及しないのだろう。あくまで私の想像だが、乗りたいと好意的に見られてしまうと公費との兼ね合いが難しくなったり、歩けるひとが乗ることで怠惰になり、リハビリを阻害する懸念があるからだろうか。もしくは、電動キックボードや自転車が室内では使えないように、足としてどこでも行ける乗り物には、法的に速度制限が厳しく課せられるのだろうか。速く動く乗り物が歩行者にとって危険な可能性は常にある。

 しかし歩行者は「走る」能力や可能性、権利があるのに、車椅子ユーザーは走ることが困難だ。ラスベガスでよく見かけた便利そうな車椅子は快適に走っていたが、日本ではおそらく車椅子で走るのは難しい。車輪を操縦するぎこちない動きと進みの遅さを見て想像する。

 どうしても車椅子に乗らざるをえない身障者たちが、思い立ったら走れる便利な車椅子に乗れたらいいのにと思う。危機感を覚えたら走れるのと走れないのでは、外出した際の安全性が大きく違ってくる。急ぎたいときに走れれば生活の質も上がる。便利なものが普及したらいいなと、傍観者ながら思う。


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