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当時の日記より77@2009 12/26

姫(母)は退院しました。実家へ到着早々、荷物が2つも届き苛立つ私。何処かで見張られてるんじゃないかと思うくらいのタイミング。

過日の介護認定が下りたので申請すれば車椅子が安価で借りられる。ただ入退院のタイミングにきっちり合わせるのが難しく、結局これまで同様のレンタル会社にお願いした。

「車椅子は明日届くからね」

と単なる報告をしたつもりだったが

「あらぁ、もう頼まなくていいのに。私はもうすっかり元気に歩けるんだから必要ないのよ。卯月は本当に無駄遣いばかりするわね。そういうこと止めてね」

言葉に難ありのアスペルガー。いつも上からの物言いに聞こえてきて腹立たしい。そして毎度同じことを繰り返すからもっと腹立たしい。

「あっそ。スーパーにもひとりで行けるってことね。分かった、もう頼まないよ」

「あ...。スーパーまではまだ行けないわ。仕方ないわね、だったらいいわよ、借りなさいよ」

ねぇ、あなたって人を怒らせる天才だよね。

言葉=音。頭の中で思いついた言葉をさらさらと口から発する。その行為に特別の意味はない。思ったから言ったまで、なのだ本人は。それを四六時中聞かされる私はたまったもんじゃない。同じ話だもん。気が狂いそうだよ。

「私ね、テーブルに乗ってたこれがお饅頭に見えちゃった」「この箱がなんだかチョコレートに見えるわ」

バッと見てそのように映っても、違うと分かったらわざわざ口にしないものだろう。でも口に出さずに終わりには出来ないのだ、全てにおいて。間違っていようが答えが分かっていようが、頭の中に浮かんだ言葉は口に出さずにいられない、何度でも。

荷解きをしていたら売店で買ったチョコレートが5箱も出てきた。買ったことを忘れてまた購入しているのではなく、好きなものを抱え込みたい一心で買い占めている。「だって食べたら無くなるじゃない」という理由で。

神様は乗り越えられない試練は与えないとかよく言いますが、私の試練はあとどの位続きますかね?神様はどのくらい私に試練を与えたら満足するんでしょうかね。ちょっと教えてよ。




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