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謝罪要求

暴言を吐かれた翌日。夫から次に出てきた言葉によって
私の長年の疑惑は確証に変わりました。
「なんか態度悪いんだけど?謝れよ」

それは幼少期に実母から何百回と向けられてきた言葉と同じでした。


2人しかいないこの家の中で、どちらか一方が
怒り狂っていたら「やばい。何を言って怒らせたんだろう」
という考えに至るのはごく普通だと思うのです。
夫は昔からそれが出来ない人でした。
何事にも非は全て相手にあるという前提で物事を捉えます。
だから私が立腹している姿を見て
「態度悪いな、謝れよ」になってしまう。

そうか…あなたも母と同じ発達障害だったのですね。

これを記すには大きなためらいがありました。
私は誰かを批判出来るほど立派な人間ではないし
何より自分が気に食わない相手を片っ端から発達障害呼ばわりしてるのでは?と捉えられるのではないかと。
でも一人で抱え続けている状況に疲れちゃったんです。

結婚前から「?」と思うことはありました。
アイコンタクトが全く通用しなかったり
一から十までかみ砕くように懇切丁寧な説明をしないと
いや、そこまでしても理解してもらえないことがしばしば。
なんか…母と似てるんだよな、という思いは持っていたのです。
でもそれは誰にでもある長所、短所の類だろうと
自身を納得させてきました。

ある時、友人が初めて訪れる街で待ち合わせをすることになりました。
迷わないようにと送ったメールを見た友人が
「あまりに細かすぎてバカにされてるのかと思ったよ」
と、笑った瞬間ハッとしたんですよね。
普段私がしていることってやはり普通とは違うのだと気づかされたから。

また、結婚間もない頃に帰省した時、夫の母校の前を通りかかり
何気なく思い出を尋ねたのです。すると
「仲の良い友達が突然口きいてくれなくなったりするんだよ。
なんか怒らせちゃうのかな」
だから現在まで付き合いのある同級生はいないと。

他人同士。いや、例え血縁関係であっても
これ以上言っちゃダメだって線引きは誰でもしてるはず。
喧嘩して頭に血が上ってる時でさえ、配慮するものだと思うのです。
けれどそこをひょいと飛び越えて
相手をいきなりぶった斬るようなところが昔から夫にはありました。

私は姑を介護するため2年間(月10日間)夫の郷里に
滞在していました。義姉と接する時間も大変多かった。
病院帰りに食事をしようと出かけた先で
義姉が突然こう切り出したのです。
「私は弟が発達障害だと思っている」と。
椅子から転げ落ちそうでした。
そんな話題をふったわけでもなく
ましてや誘導したわけでもないのに、です。
幼少期の弟に違和感を持っていた話が次々出てきました。そして
「卯月さんは説明が上手よね。いつもわかりやすいと思って聞いてる。
でもそれってそこまで言わなきゃ弟に伝わらないからじゃないの?」

この言葉で夫の発達障害を疑うのは私だけじゃないと知りました。

単なる日常会話の中でふいに発せられる暴言を何十年と受け止め続け
「時間を無駄にした」が決定打となりました。
ダメだ、もうこれ以上は無理だって。

離婚も考えました。とにかく働きに出ようと姑の死去後
職探し、家探しを始めた矢先のコロナ禍で全て白紙に。
そうこうしているうちにもはや離婚は現実的ではない年齢となり、
結局会話をしないまま同じ家に暮らしています。
ただひとつだけ言えること。
こういう夫と暮らす配偶者がメンタルに不調をきたすことを
カサンドラ症候群と称されるようになりましたが
私、めちゃめちゃ強メンタルでして(笑)
そちらの影響はまるでなし。(どうやら実母に鍛えられたおかげ。)
だから毎日元気に過ごしています。
推しのライブ、趣味の観劇、そして大好きなひとり旅と
あちこち飛び回っています。残りの人生は自分自身のご機嫌を取るために
あるのだと考えをシフトさせ、楽しんでますのでどうぞご心配なく。

読んでくださってありがとう。

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