何故イライラするのか考えた
2020年6月9日
答えはわかっていたんだけど、上手いマインドコントロールは行ってなかった。
以前の記事(2020年5月)で書いたとおり、友人の死によってわたしのマインドは一回制御不能に陥った。
全くもって何もうまくコントロールできない。やる気は無くなるし、辛いし、悲しいし、イライラするし。
そういえば、事が起こって3週間目、わたしは突然泣いた。
泣くというのも、本当にここ数年ぶりの大号泣。突然。
突然言葉を失って、次に言葉を発した途端喋れなくなるほどの号泣。
どうしようもない、どうしようもなかったんだ。
起こってしまったこの不幸の理由を探して、「どうしようもなかった」と言葉にして、自分をどうにか慰める。
自分の想定外のことが人生に起こってしまった。
なんで。
私の辛さ、悲しさ、苛立ちは全てコントロールできない出来事と感情に起因する。
逆に言えば、私は自分の人生をある程度想像し、未来に期待して生きていたと言うこと。
その未来が崩された。
現在
ここまでが、私が2020年6月に書いてそのままストップしていた記事。
ストップしたまま2年が経ってしまった。
この記事どころか、noteを閉じた。
そして2022年5月、唐突に「文を書いてみたら?」というアドバイスをもらった。
私がnoteを始めた理由は、冗談のようなものだった。
グループラインでのくだらないやりとりの中で発生した冗談。
「このネタでコラムのようなものを作れるんじゃない?」
それが一番初めに書いた記事。
今読むと、軽く背筋が寒くなる締めかたをしている。
あえて、です。
コラムだの小説だのを少し意識したフィクションを分に付け加えたかったのだが、
何とも寒気が。。。
これを読んでてもわかるように、私がnoteにアウトプットしていきたいと思っているのは
自分の謎解きなのである。
「何故こうなってしまったか」
「何故こう思うのか」
自分の中でモヤモヤしてるものを書き出してアウトプットして整理する。
この記事の書き出しにも書いてある【マインドコントロール】、無自覚に2年前から意識していたようだが、これは今でいう【マインドフルネス】とでもいうのだろうか。
私の経験や思考をnoteを通して、書き出して整理していきたい。
そしてこれが誰かのヒントになればいい、とも思う。
では何故イライラするのか
2年前の文章に戻る。
全ては「期待」に起因する。
自分が「期待」してた物や出来事が起こらなかった。
それは、失恋だったり、喧嘩だったり、意見の食い違いだったりする。
自分がこうなればいい、こうして欲しいと「期待」していたことが起こらなかったから、辛さや悲しさ、苛立ちが起こる。
逆を言うと「期待」しなければ感情の波風は立たない。
しかし、私たち人間は「期待」や「希望」を持つことで人生に輝きを得ることができる側面がある。
その輝きの裏には必ずしも「期待通りに行かない」ときのリスクはつきまとう。
何にも期待せず生きれば精神は安定していられるのか
答えから言うと、
そんなの寂しすぎます!
前述した通り、何か期待することがあると言うことは人生の輝きの一つなのだ。
ただし、他者に過剰に期待しすぎないこと。他者だけを頼りにしすぎないこと。
期待と自立のバランスが重要かと。
そして、私のように自分ではコントロールできない何かの喪失(自分にとって突発の事故や病気・怪我、被災も含む)に関しては、100%回避はできない。
期待しないどころか、心の準備もできないし。
もうこうなってしまった場合、喪失してショックで悲しくて何もできなくなった自分を認めて傷ついた自分のために休息したりするしかない。
2年前の私に言いたい。
正直心の傷はまだ癒えない。
全然癒えない。
前の私には戻れない。
『新生・傷ついた私』として生きていくしかないのだ。
さっき散々期待しすぎるなって言ったけど、やっぱり最後は他者に頼って、甘えて、ちょっと支えてもらいながら生きるしかなかった。私は。
期待しすぎてなかったら、他者は思いがけず優しい。暖かい。
「人という字は〜」って金八先生が言ってたよね。
そして、結局期待しながら生きる
つらい思いをするなら期待しなければいい、
そう思いつつも私は何かに期待を抱きながら生きる。
先が見えない未来にほんの少しの期待を抱く。
期待が裏切られた時のことも考えて、他の楽しみも同時にいくつか持っておく。
(これが私なりのバランスの取り方)
私の手の中にはまだみんなが知らないとっておきがいくつかある。
自分にとっての大切なものをいくつか握りしめて、人として楽しく生きていく。
この2年。
世界中の人がコロナによって日常を奪われた。
今まで当たり前だったことができなくなって、ストレスが溜まったり、生きづらくなった人はたくさんいると思う。
だけど、だからこそ、自分のたった一回の人生を何よりも優先して生きていこうと考えるようになったし、
みんなにもそうあって欲しいと思う。
亡くなった友人や母が教えてくれたこと。
たった一回の人生を生きる。
自分の中でこの軸ができたことで、イライラすることは減ってきた。
『新生・傷ついた私』はちゃんと傷ついた分、進化しながら生きている。
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