いやいや、もう8月も終わるんですけど。 日々考えてることはあるんだけど、去年が忙しすぎたせいで深く追求することを放棄した2023。 1月 雪山にハマる。 九州で雪が積もることは珍しく、雪山ハイクといえばくじゅう連山が主たるところだけど、 2週に1回は雪山にいた。 雪山を歩くのはそんなに難しく無い。 ちゃんとスパイクやアイゼンをつけていればむしろ安定してるからキツく無い。 私が1番怖いのは、登山口までの車だ。 今年は人の運転に便乗して行っただけなのだけど、 来年はスタッドレス
あけましておめでとうございます。 いやはや、1月は毎年の如く行ってしまいました。 それどころか、note半年放置。 まさにその間、私は人生で一番働いていたのだけど、働いて働いて締め切りに追われ、人からの評価を受け、、、 人から良くも悪くも評価されるってすごく疲れる。 とても苦手。 本職の仕事柄それはつきものなのだけど、メンタル豆腐の私はもう白和えにできるくらいボロボロで、もはやフワフワな毎日を過ごしてる。 そんな白和えですが、 人に誇れる趣味を一つだけ持ってます。 それが
2020年末、母が急逝した。 母が死んで2ヶ月間は、やらなければならないことが多過ぎて、光速で毎日が過ぎていった。 平日は仕事、帰ってきたら死後に必要な手続きの書類を作成したり集めたり。 休日は実家の片付け。 母が住んでいた実家は市営住宅の一室で3DK。 さほど広くはないが昔ながらの作りのせいか、押入れに奥行きや高さがあり、見たこともないような衣装ケースや一回も開けてない昭和の結婚式の引き出物のような「お椀5客セット」や「大皿5枚セット」が出てきた。 昔の基本は、5人
2020年6月9日 答えはわかっていたんだけど、上手いマインドコントロールは行ってなかった。 以前の記事(2020年5月)で書いたとおり、友人の死によってわたしのマインドは一回制御不能に陥った。 全くもって何もうまくコントロールできない。やる気は無くなるし、辛いし、悲しいし、イライラするし。 そういえば、事が起こって3週間目、わたしは突然泣いた。 泣くというのも、本当にここ数年ぶりの大号泣。突然。 突然言葉を失って、次に言葉を発した途端喋れなくなるほどの号泣。 ど
4/29 GW初日 甥の誕生日 毎年絶対仕事入れないと決めてる 最近弟ができた彼、1歳児の頃から空気読むやつだと思ってたけど、誕生日プレゼントを涎だらけにされても怒らない。 「びちょびちょになっちゃった」 って呟いただけ。 彼のための時と空間を確保してあげなきゃと思った。 4/30 久しぶりに飲みに出た。 どうも規制がない3年ぶりのGWらしいが 人気満席でもない近所の中華へ。 安心。 5/1 一日中寝て、本読んで、映画見た。 5/2 仕事。 出勤して30秒でモヤっとした
自分を愛することについて考えた。 「誰かに愛してもらうためにはまず自分が自分を愛さなくては」なーんて言葉をよく聞くのですが、 具体的にどういう理論なのかわからなくて、ぼんやりと自分の愛し方について考えてみました。 自分とは 「自分」って何だろう? 人間って「自分が思ってる自分」と「他者が見た自分」がある。 更に「他者が見た自分」を細分類すると「仕事仲間が見た私」「家族が見た私」「友達が見た私」などなど。 自分ってたくさんある。 「他者が見た自分」は「自分が思ってる自分」
3月19日 シェアカーで関門海峡渡る。 シェアカーに登録してかれこれ数年経つけど、ほんと登録しててよかった。 唐戸市場で寿司食いね。 大人になった私たちの胃には、これで充分すぎる量。 はい、この後一日中満腹でした。 3月20日 友人の新居へ。 息子(1歳)に振り回されるだけの4時間。 3月21日 朝ヨガ寝坊してサボる。 1日中読書とネットサーフィン。 夜ヨガ。 寝過ぎたせいか腰が痛い。 3月23日 母の誕生日。 亡くなって2回目。 一番搾り。 3月25日 珍しく定時
びっくりするけど、日記3から4までに2年の歳月が過ぎ去った。 読み直してみると、あの頃の異常生活が蘇る。 新型コロナウイルスに支配された世界。友人を失い灰色になった世界。 だけど この2年で、さらに人生は思い通りにならないことを思い知らされた私は今、色とりどり。(2022年3月21日記) 2020年7月 引っ越ししよう、と決めた。 2020年8月25日 家を買う。 2ヶ月で家決めたの?! 2020年12月27日 10時13分 母が逝去した。 突然のことだったし、あっとい
友人が、命を絶った。 この事について、ここに書き留めていいのかわからない。だけど、どれだけ自分の中で噛み砕いても、飲み込めない。喉の奥の方でずっとつっかえてる。彼女のことを考えると喉の奥がギュッとつっかえる。 突然の、その喪失について「仕方がなかった」と、思っていた。日が経つにつれて、違う未来もあったんじゃないかと考えるようになった。 死を受け入れるために、彼女が住んでいた今は空っぽのマンションの一室を眺めてみたり、命が絶たれたその現場に立ってみたりしてみた。 まだま
4月18日 土曜日仕事。仕事終わりにテイクアウトして帰る。今週はテイクアウトの週。 餃子、手羽唐揚げ、パクチーたくさん乗ってるエスニック麺。久しぶりにパクチー。多国籍の食べ物をいつでも選んで食べることが出来たのが遥か昔のようだ。 夜になって友達とオンラインで顔を見て話す。人と話す時、遠慮せずに声を出せるのも幸せ。 4月19日 日曜休み。10時半起床。もう一眠りしようかと思ったら、LINEが大量に届いていることに気づき開封。 先日甥に送った誕生日プレゼントが届いたと
午前出勤。雨予報だったので朝の電車。少ない。 仕事。コロナ関連で人間関係も前より悪いようだ。いろいろあるけど今は乗り越えたい。 友人が子供用マスクを寄付してくれたので制御チームに持っていく。 「ありがとう。助かります」 この言葉で現場の物資不足を理解する。分かってたけど、思ってるよりもっと酷い。そろそろ私たちもレインコートかな。 午後帰宅。今日は帰り道のうどん屋のテイクアウト。奮発して天ぷらうどんにした。駅から電話予約して、歩いて5分。ちょうど出来上がる頃で良い。店
こういう事態なので日記をつけることにする。なんと公開で。 当直明け。1時間残業。もちろん現場の最優先課題はコロナ対応だが、事務作業や年間の業務は恒常的にある。朝から管理者と少しもめる。 帰りは久しぶりに公共交通機関で帰った。さすがに寝てない頭で自転車を運転したくない。これで事故ったら医療崩壊への手助けだし。車内はいつもと変わらず。同じく当直明け帰宅中の職員や通院患者が一車両に10名ほど。social distanceは守られてる。 最寄駅に降り、食材調達と薬局。ここはま
「接触」 最近よく聞く言葉。「接触」とは、触れ合うこと。(ちなみに今問題となっている感染症における「接触」には近距離や同じ空間での会話も含まれます。) 2020年4月8日緊急事態宣言が日本の7都府県で発令された。「接触」を8割ほど減少させてことを目標とする。 ************************* 我が家のアイドル、もうすぐ1歳になる甥の誕生日会は残念ながらオンラインで行われることになった。ある意味、この時代でよかった。「接触」しなくても参加することはでき
こんな世の中、である。 SNSという言葉がこんなにも浸透したのはいつくらいからだろうか。 人はインターネットにより、連絡をとりあい、買い物をするようになり、他人に見られたくないような自分の心のうちを吐露するようになった。もう対面で、相手の表情など伺いながら言葉を選ぶ必要がない時代になっていた。 しかしながら、それでも人間同士は繋がり合わなければ生きていけない。経済活動だって愛情活動だって、1人では成り立たないことがほとんどだ。 なのにもかかわらず、私たちは人間同士の関