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連載小説|Suite 1101 -Chapter 7-

My ambition is to be happy.
幸せになること、それが私の野望。

Penelope Cruz

 椿は病院の吹き抜けのロビーで読んでいた本をおき、携帯電話で時間を確認する。11時45分、待ち合わせの時間は15分過ぎているが、昼食にはちょうど良い時間になりそうだと思いながら読んでいた本をリュックにしまおうとしたところで、翠からテキストが届いた。

[Be there in 5 minutes!(5分で着きます。)]

椿は、本をしまうのをやめて

[No rush at all😀(ごゆっくり)]

と返信すると、また本を読み始めた。

「椿!」
と言う声に本から目をあげると、遠目にもつやのある額にハチミツのように透明で甘い声の翠がロビーの自動ドアを入ってきたところだった。鮮やかなマゼンダのワンピースの裾を揺らしながらロビーを横切ってくる姿は、椿をホテルにいるような気持ちにさせた。2名のドクターと思われる男性が翠のことを上から下まで素早くチェックしているが、翠はそれを気にとめない。椿は翠が肩から下げている大きな保冷バックに気づいて小走りに近づいた。
「翠先生、今日はありがとうございます。サプライズなんですけど、スーさん、喜ぶと思います。」
と言いながら、翠の保冷バックを受け取った。
「個室なんでしょう?私たちの分も持ってきたから、一緒に食べましょう。」
という翠の言葉に
「やったー!久しぶりの翠先生ご飯だ。嬉しいなー。個室は空いてなくて、今は2人部屋なんですけど、話し相手がいてちょうど良いみたいです。」
と椿が答えると、翠が艶やかな笑顔で
「お話できるくらいお元気なのね。良かったわ。」
「スーさんは入院のプロフェッショナルですから。」
「じゃあ、椿もお見舞いのプロフェッショナルね。」
「まだまだアシスタントレベルです。」
2人は話しながら入院患者のいる階に通じるエレベーターに乗り込んだ。

 スーザンの入院している階の受付に行くと、すでに顔見知りになっている病院スタッフが椿に声をかけてくる。椿は笑顔で答えながら、2人の名前と時間を記入する。12:15、予想通りと思いながら、翠を病室へと案内する。
「せっかくだから翠先生、お先に。」
と椿が言うと、翠は一瞬ためらったものの
「Delivery order here!(出前ですよー!)」
とおどけながら病室に入って行った。新聞のクロスワードパズルをしていたスーザンは、顎が胸につきそうなほど深くうなずいて、眼鏡の上側から2人の顔を見比べて
「翠?Long time no see you(お久しぶり)! Thank you for coming(来てくれてありがとう)!」
「お久しぶりです。お加減はいかがですか?」
と言いながら翠はベッドに近づき、2人はハグを交わした。
「ドミトリー暮らしよ。またボルトが増えちゃったわ。」
とスーザンは笑った。
「新しい装備が増えて、ますます無敵なったんじゃないですか?」
と翠が濃いまつ毛に縁取られたぱっちりとした目をさらに見開いて見せると
「いいこと言うわね。その通り、あっちもこっちもカスタマイズ済みよ。ついでにCosmetic surgery(美容整形手術)もやってもらおうかしら?」
と言いながら、新聞を畳んでベッド脇のキャビネットに入れた。椿が真顔で
「Cosmetic Surgeryはメンテが大変みたいですよ。」
と言うと、翠が目を丸くして
「若者がそんなことを知ってるなんて、ねー。」
とスーザンに同意を求めると、
「あなた達はアジアンで肌に恵まれてるから必要ないわよ。」
と笑ってから
「ようこそ、私のお部屋へ。ルーミー(ルームメイト) は今、リハビリ中なの。膝の人工関節の手術を受けたんですって。予備の椅子は入り口の横にあるから、持ってきて座ってね。」
カーテンで仕切られた向かい側のベッドを示した。椿はベッド上の可動式のテーブルに翠の持ってきた保冷バッグ置いて、椅子を取りに行った。翠がバックから持ってきた食べ物をテーブルに広げ始めた。
「B-Musubiのファウンダー自らのデリバリー、これは貴重ですよ。」
と椿が言うと、翠はゆったりと手を振りながら
「おおげさよー。お宅のお嬢ニャンズのご飯もデリバリーしてますから。」
と笑顔でスーザンと椿におしぼりを手渡した。
「サニタイザーでなくおしぼりってところが、翠らしいわぁ。日本にいるみたい。」
とスーザンが嬉しそうに言った。
「この前、スーさんのチケットでバレエを観に行ってくれた由美子さんも、おしぼり出してくれそうなタイプですよ。」
と椿が言うと、お箸を2人に手渡しながら
「由美子さんってどなた?」
と翠が尋ねた。
「椿がブライアントパークでスカウトしてきた倶楽部のインターンさんよ。」
とスーザンが面白そうに言った。
「インターンさん?というかとても優秀なインターンさんですね。」
と椿が生真面目に付け加えた。
「やるわねぇ。優秀な人材を確保するのは、ビジネスでいちばん大切なことのひとつよ。」
翠の言葉に椿は子供のように素直にうなずいた。翠は椿が小学生のだった時の家庭教師だったのだ。
「そうなのよ、この子は小さい時から優秀なんだけど、欲がないのよねぇ。それは良いところでもあるのだけれど、勿体無いと思わない?
スーザンの不満そうな目線に椿は大袈裟に肩をすくめた。食べ物を用意し終わった翠は椿に譲られたベッドの脇の肘掛けつきの椅子に座り、ふっくらとした白い指をおしぼりで拭いてから、組んだ足の上のスカートを丁寧に整えた。スーザンは、箸を持った両手を合わせて翠に向かって
「いただきます。」
と言うと、ランチボックスの蓋を開けた。椿もそれにならった。

「いただきます。私、人生最後の食事で食べたいのは、翠先生のブラウンライス(玄米)おむすびなんです。」
と言いながら、おむすびを手にとった。
「それはここでは、問題発言になるけど、気持ちはわかるわ。玄米なんて、Health nuts(健康オタク)が食べるものだと思っていたけど、翠のブラウンライスは本当に美味しいもの。」
とスーザンも大きくうなずいた。
「過分なお言葉、ありがたき幸せです。」
と翠は胸に手をあて2人と見えないファミリーサークル(The Metropolitan Opera Houseの6階席)にキラキラとした視線をおくるゼスチャーをしてみせた。
「ブラボー!」
とスタンディングオベーションをしようとした椿が、危うくランチボックスを落としそうになり、翠がそれを支えた。
「もったいない、もったいない!」
と椿はそれをしっかりと膝にのせ直した。
「牡丹さんにも学生時代から応援していただいたのに、まさか、おむすび屋さんになるなんて。両親にもお前は田舎の家2軒分は投資したのにと言われてます。」
と翠は持ってきた紙コップに注いだお茶を2人に手渡した。
「牡丹さんは、昔から翠先生のファンですからね。逆にすごいと思います。ジュリアード(Map16 The Juilliard School 1905年に設立された。世界的に有名な音楽・舞台芸術の専門教育機関。60 Lincoln Center Plaza, New York, NY 10023  )でも奨学生に選ばれて、MET(The Metropolitan Opera House)でコーラスになれていたのに、自分でビジネスを始めるなんて、もう二つの夢を叶えているようなものです。」
と椿がおむすびを手にしたまま、勢い込んだ。
「あなたも欲がないのよ、もう少しコーラスを続けていたら、きっと役がついたのに。」
スーザンは残念でならないといった調子で言ってから、それを振り払うように
「Life is short, Let’s go girl! (人生は短いわ、したいことしなくちゃ。)翠の決断は素晴らしかったと思う。」
と言いながら、ランチボックスのつくねに目を細めた。
「これ、つくねでしょう?嬉しいわぁ。ここのチキンはターキーなみにパサパサだから。」
「つくねがすらっと出るところが、スーさんのすごいところですよね。お寿司やでエダマメだ、エンガワだとはしゃいでるのとはレベち?です。」
とレベちのところで翠は椿に確認の視線を送った。
「レベルが違うって意味?」
と言うスーザンの質問に
「あってます!」
と椿が太鼓判をおすと、3人は笑った。
「私が日本生まれ、日本育ちのネイティブなのに、お二人の方が日本語が上手だわ。」
と翠はしみじみと言った。
「そんなことないですよ。翠さんは歌で、イタリア語もドイツ語もやってたじゃないですか。」と椿が言うと
「そうなの、それが問題だったの。私、歌は好きだったんだけど、外国語は好きじゃなかったの。外国語の音を聞くのは好きだったんだけど、勉強するのは好きじゃなくて。それが当たり前だと思ってやっていたんだけど、すごく疲れちゃったの。」
翠は明るい調子で答えてから、少し考えて
「夢を叶えたと言うよりは挫折したと言う方が正しいかもしれない。」
と言うと、グリルしたカボチャを口に入れた。
「それは違うと思うわ。」
とスーザンが箸を置いた。
「ひとつのキャリアが終わり、次のキャリアに進んだのよ。もし、翠があのまま、ソプラノを続けていたとしても、もし誰かがロイヤー(弁護士)だったとしても一生同じようには働かないんじゃないかしら?転職することもあるし、同じ仕事をしていたとしても人生の時期によって働き方は変わるでしょう。結婚するかもしれないし、離婚するかもしれない、家族が増えるかもしれないし、減るかもしれない、介護するかもしれないし、介護されるかもしれない、引っ越しするかもしれないし、アパートにヘリコプターが突っ込んでくるかもしれないじゃない?何が起こるかなんて誰にもわからないのよ。翠は勇気をもって変化を選んだのよ。」
と言うと、紙コップのお茶をがぶりと飲み
「コーン茶?」
と翠に尋ねた。
「ビンゴ!スーさんは舌も的確ですね。」
と翠はにっこりした。そして、
「アパートにヘリコプターが突っ込んで来た人、居ましたね。」
と椿が言うと、共通の知り合いを思い浮かべて、3人はうなずきあった。
「私も、アートスクールに行ったのに、出版社に入ってしまったり、日本で英語教えたり、行き当たりばったりばっかりよ。それを挫折と言うなら全部挫折よ。そう思ってる人もいるかもしれないわね。」
スーザンは眼鏡越しにニヤリと笑った。
「いないと思いますよ。それより、みなさん、スーさんのことは不死身だって思っていると思いますから。」
と椿が答えると、笑いながら
「そうかしら?確かに手術は多いわよね。それは、健康上の挫折だったかも?」
と言ってから
「牡丹だって、デビューした途端に女優辞めて、専業主婦になったのよね?人生はその時々で変わるのよ。」
「牡丹さんの場合は大恋愛からの華麗な転身ですから。」
と翠が胸の前で手を合わせて眼をキラキラさせながら、夢見る乙女といったポーズをとって見せる。
「翠だってそうよ。オペラ歌手からヘルスフードビジネスオーナーへの華麗な転身。」
とスーザンが箸を持ったまま、同じポーズをとって、2人を笑わせる。
「私も愛に生きる転身の野望は持ち続けてますから。おむすび屋さんから有閑マダムへの華麗なる転身。」
「買収のオファーのお話もありましたよね?」
と椿が言うとスーザンが眼鏡を押し上げながら
「あら、素敵じゃない。それだけ有望ってことよ。」
と言った。
「だって、味が他とは違いますもんね。レベちです。」
と椿が2つめのおむすびを食べながら翠の方を見た。
「私、ベジタリアンとか特別なダイエット(食事法)の人じゃないので、普通に美味しいのが好きなだけで。」
「それがいいのよ。美味しいブラウンライスって最高じゃない?」
とスーザンは言うと、椿も頷いた。
「時期がラッキーでした。1年ずれていたら、商品化も大幅に遅れたし、ロックダウン前に売り出すことができなかったですから。」
と言うと翠は両手の人さし指と中指をクロスして見せた。
「そういうことなのよ。翠が病気になった時は、ソプラノとしてこれからという時にと思ったけれど、コロナの前だったから普通に治療できたし、じっくり試作をしたフローズンブラウンライスおむすび(冷凍玄米おむすび)がロックダウンの前には出来上がっていたんだもの。」
「そうなんですよ。冷凍用のレシピを作るのに、半年近くかかりましたから。」
翠が頷いた。
「やっぱり、専用のレシピに変えてるんですね。」
と椿はまじまじとおむすびを眺める。
「これは、うちのフィスラー(圧力鍋)で今朝炊いたものよ。」
「Wow! These are exclusive limited edition products!(わぁ!これらは超特別な限定品!)」
と椿は顔の前で手を合わせた。
「It’s my pleasure. (喜んで) Anytime, you are my VIP.(VIPのためならお安い御用です。)」
という翠の言葉にスーザンと椿はお互いの手を合わせた。

「牡丹さんは今、どちらなんですか?」
2人のカップにお茶をつぎ足しながら翠が尋ねた。
「先週はポルトフィーノにいたんですけど、今週はどこかの島に行くって言ってました。ナポリから飛行機?船?よくわからないんですけど。」
「素敵、このまま 『Eat Pray Love』(ジュリア・ローバーツ主演の映画。離婚後の混乱と失意ののち、ヒロインはイタリア、インド、バリを旅行しながら、食、祈り、愛を学び、自分の人生を取り戻していく。2006年に出版されたエリザベス・ギルバート/ Elizabeth Gilbert)による同名の回想録が原作。)になっちゃったりして。」
と翠が目を輝かせた。
「牡丹さんの場合は人生に何の問題もなかったと思いますけど、そうなりかねないですね。」
と椿が腕組みをしてみせると
「あら、それは、本人にしかわからないわよ。でも、お転婆出来るのは健康な証拠よ。」
とスーザンは明るく笑った。それから、軽い調子で
「翠だって、ビジネス売って、世界中旅してまわるってことも出来るわよ。」
と言うと、翠は目を丸くして
「考えたこともなかったけれど、それもありかもしれませんね。先のことはわからないですものね。もし、そういうタイミング来たら、私もイタリアに行きます。流石、スーさん。勉強になります。」
と頭を下げた。
「骨折ってますけどね。骨折!」
とスーザンがわざと真顔で挫折に因んだ駄洒落を言ったので、椿と翠は笑った。
「バリは良いけど、私はインドには行かないかも。」
綺麗にカールされた髪を耳にかけながら翠は言った。
「たしかに。翠先生はインドって感じはしないですね。髪の毛巻けないと思いますよ。」
と椿が言うと翠はうなずいてから
「Good point! (そこ大切!)シャワーがないところは、無理。あと、虫も。意外と牡丹さんは行くかもしれませんね。」
と申し訳なさそうに小声で言った。
「私たち、インドに行ったのよ。」
とそれを聞き逃さなかったスーザンがお茶のカップを置きながら言った。
「え?知らなかった。いつですか?」
「うーん、いつだったかしら?2018年だったかしら?牡丹から聞いてない?」
「最近じゃないですか。マムも知らないんじゃないかな。マジですか?」
「あら?ナイショだったのかしら?まぁ、もういいわよね。」
とスーザンは肩をすくめた。
「私は知らない人だったんだけど、牡丹の知り合いがインド人のパートナーとホテル作ったからディワリ(ディワリ/Diwaliは、インドやネパールなどの南アジア諸国で祝われる重要な伝統的なお祭り。「光の祭り」としても知られており、1年に1度、新月の時期に行われる。家や公共の場所はディヤ(ろうそく)やランタンで飾られ、大量の花火が打ち上げられる。)に合わせてオープニングのお祝いに行かない?って誘われて行ったのよ。」
「だ、誰なんですか、それは???」
「バリ島にホテル作る人はいないですか?」
と椿と翠は同時に声をあげた。
「そのホテルのオーナーとは東日本震災のチャリティで一緒になったような話だったような?バリはどうだろう?でも、インドがあったから、バリだってそう言う話があるかもしれないわよね。牡丹に訊いてみて。」
「スーさんはその人を知らないのに行ったんですか?」
と椿は驚きを隠せない様子で尋ねた。
「そうよ。子供の頃から、タージマハル(ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが亡き愛妻ムムターズ・マハルのために1632年から1653年にかけて建設させた美しい白い大理石の墓廟。世界遺産にも登録されている。)に行ってみたいなと思っていたから、ちょうどいいと思ったの。でも、行ってみたら、アグラ?には寄らなかったから、タージマハルは見られなかったの。」
「何かあったんですか?」
無言になっている椿をチラッと見ながら、翠は食べ終わったボックスを受け取った。
「最初からコースに入ってなかったの。」
「入ってなかったんですね。」
椿が力なく、スーザンの言葉を繰り返した。
「多分、オーナーの浩子さんからメールでコースが送られてきていたんだと思うんだけど、集合場所しか見てなくて。」
「コースを見ずに行ったのですか?」
と翠は笑いを堪えながらも丁寧に尋ねる。
「そうなの。フライト予約してから牡丹に訊いてみたら入ってなかったの。タージ・マハルだけのために、もう一度インドに行くかはわからないと思ったから、ジャイプール(インドのラージャスターン州の同州の州都。美しいピンク色の建物が有名でPink cityとも呼ばれている 。)で私たちは1泊だけ、ツアーを抜けて、宮殿ホテルに泊まったの。もちろん、タージマハルとは全然違ったけど。キャンプのあとだったから、バスルームが広くてほっとしたわ。」
と、スーザンは角のデリでベーグル買ったのを告げる気軽さで答えた。
「キャンプから宮殿・・・ツアーなのに、勢いが『テルマ&ルイーズ』(テルマ/ジーナ・デイヴィスとルイーズ/スーザン・サランドンの2人の中年女性が自由を求めてアーカンソー州を出発してメキシコへ向かう途中、事件に巻き込まれながらも友情を深めていくロードムービー。リドリー・スコット監督1991年公開。)なのはなぜ?スーさんもお転婆ですよ。マミーには言わないでおきます。」
と子供がいやいやをするように頭を横に振りながら椿は言った。
「前から思っていたんだけど、椿って、本当に23歳なの?それって、完全に生まれる前の映画じゃない?私でさえ見てないわよ。」
と翠が感心すると、椿は得意げに胸を張った。
「ブラット・ピットが通りすがりの役で出てるから、翠もいつか見てみて。彼は若い頃、可愛かったのよ。それで、車だったら、良かったんだけど、ラクダに乗るツアーだったの。」
とスーザンが話し始めた。椿と翠は何も言わず続きをまった。
「朝起きたら、今日はラクダが来るからと言わて、それも知らなかったの。」
「スーさんの旅行は、セルフドッキリなんですか?」
椿が言うと、翠が笑顔で
「サプライズ のことです。」
とスーザンに、ドッキリの意味を説明した。

水を飲むラクダたち


「ラクダは優しくて案外揺れないんだけど、馬より高さがだいぶ高いの。1頭に1人ずつラクダ使いがついて、先導してくれるの。砂漠はトイレはないんだけど、さえぎるものがないから、電波はバリバリでずーーーーっと、携帯で話してたわ。途中で、グループの人の乗っていたラクダが一歩も歩かなくなってしまって、ラクダ使いがひずめをチェックしてみたら、棘が刺さっていたのよ。でも、それを手では引き抜くことができなかったの。」
翠は話を聞きながら、葡萄の入ったビニール袋とナプキンを2人に配った。
「私と牡丹は列の後ろの方にいたんけれど、牡丹がtweezers(毛抜き)のついてるナイフを持っていて、自分のラクダから降りて、棘の刺さっているラクダのところに持って行ったら、ラクダがじっと牡丹のことを見て、ポロッと涙を流したの。」
「ラクダにも牡丹さんの美しさはわかるんですね。サリー姿は美しかったでしょうねぇ。」
と翠がうっとりした様子で言い、椿は目を伏せたまま無言でおむすびを食べ続けた。
「そのときはサリーでなくて、普通の洋服だったけどね。ラクダは棘を抜いたら、サッと立ち上がって歩き始めて、ツアーが終わったら、帰りには他のラクダと一緒にギャロップしてとっとと帰って行ったの。翌日は、車でホテルに戻ったんだけど、40分でついっちゃったのよ。車って凄いわね。」
椿と翠は大きな声をあげて笑わないようにお互いの肩をつつきあった。

「あー、美味しかった。こんな美味しいランチを持ってきてもらえるなんて、本当に私は幸せ者ね。どうもありがとう。退院したら、なにかご馳走しなくちゃ。残りは後で食べるから、そこの冷蔵庫に入れておいてもらえる?」
とスーザンは葡萄の袋を椿に手渡すと、気持ち良さそうにベッドに寄りかかった。
「喜んでもらえて嬉しいです。また来ますね。」
と翠が言うと、椿がガッツポーズをした。
「お腹がいっぱいになったお転婆娘は、お昼寝させていただくわ。この後お嬢様方は、キャットフードの配達でしょう?マリーとアンヌによろしくね。」
と言うと、スーザンはメガネをキャビネットに置いて満足そうに目を閉じた。

小説 Suite 1101 | New York Map■


The Juilliard School
Map16
1905年に設立された。世界的に有名な音楽・舞台芸術の専門教育機関。
60 Lincoln Center Plaza, New York, NY 10023 


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