見出し画像

明るい中退学②大学を辞める決意と、何をしたいか考えた結果

前回の続きです。まだまだ暗いです。。笑

家にいても母親がいて、外に出る気力もない状態。

初めて頭の中に”大学を辞める”、という選択が出て来ました。

どんなに行きたくなくても、どんなに悶々としてても、”辞める”という選択はそれまでありませんでした。

ただ、この大学に4年間通うっていうのも全く想像できなかった。

将来何がしたいかも分からないけど、このまま高い学費を払い続けてダラダラと4年間行くことが勿体無いと思い始めたのです。

学費は親に払ってもらってました。だから単純に、3年間の学費を払わなかったら300万以上親は得じゃん、そんな風に思ったくらいです。

そこで私がした二つの事。

一つ目は、自らカウンセリングを受けに行ったのです。

親の洗脳の中にいた私は、私のこの苦しさや当時感じてた生き辛さは、親と関係があると考えました。

少し触れていますが、私の両親はかなり特殊な人たちで。

書くと長くなるので今は書きませんが、精神的に追い込んでくる人たちでした。

だから、大学を辞めるというこの一大事に親との関係性で病んでる私を、冷静な第三者、しかもそういった心理的に詳しい人に話して冷静に分析して欲しかった。

確かインターネットで検索して出て来た、良さそうな感じのカウンセリングの先生に予約を入れて行ったと思います。

入口にはカウンセリングっぽいことは一切書いてなく、マンションに尋ねてきたという感じで最初はホッとしたのを覚えています。

(カウンセリングに入って行った、というのを誰かに見られるのが嫌だった)

しかしカウンセリングの類は保険が効かないので全額負担…バイトも辞めてしまってたのでお金がないので、父にお願いして出してもらいました。

(一回8000円とか…高い…!けどこれから70年を楽しく生きる投資と考えました)

いざカウンセリングを受けてみると、それまで私の中違和感やわだかまりが、私の勘違いじゃない事が分かりました。

先生はとても柔らかい雰囲気で、私が感じる事思う事に対して否定をしてこない。

まるで”お母さん”と話してるような、”お母さん”ってこういう感じなのかな、という温かい時間でした。

一つ一つ、私が感じてることがおかしくない、正しいという作業をしたり、

確執がある母親との関係について話して行くうちに、母親も1人の人間であること、母親の母親(私にとっての祖母)も関係してることなど、

私を中心に人間関係は回っていないという事が見えて来ました。

私はカウンセリングを受けて全ての作業を終える頃には、”母や家族での出来事の責任は私にある”という気持ちが全くなくなり解放されていました。

どうしても18歳という年齢で、まだ学校と家族しか知らない私にとっては視野は狭いというか、、ラプンツェルの高い塔に住んでるようなものです。(今娘と毎日のようにラプンツェルを見てるので引用させてもらってます笑)

ラプンツェルのように、そこから出して欲しかった。

ただ私にはユージンはいなかったけど😂笑

自分から出ることを選んだんです。

その作業や先生と話したことは、今でも私の中では糧になっています。

何より自信になりました。だって、その時の年齢の子供にとって親って全てなんです。

親がまだ梶を握ろうとしくる。(家庭によると思いますが)

まだ1人で生きる術も知らないから、放り出されたら”死”にも似た絶望があるくらいの影響力なんですよ。

だけど、高い塔を出てみたらそんなことは全くなかった。

ただただ、世界のルールの上で世界が回ってる。それだけだとわかったんです。

洋画が好きでTSUTAYAに通って借りて見てたのですが、確かに今見てるのはテレビの画面に映る映像だけど、地球の裏側では本当にこういう世界があるのか、と思いながら見ていたものです。

何故私は日本に生まれたのか?なんて思ったりもしてました。


そして二つ目、カウンセリングを受ける傍ら、足繁く図書館に通いました。

そこで私がこれから何ができるか調べながら考えようと思ったのです。

できれば海外に行きたい、世界はこんなちっぽけじゃない、世界が見たい、他の国の人と話してみたい。

お金がなくても行ける方法はないだろうか、留学しか道はないのか?でもそんなお金は頼めない…そんな中である一冊の本を見つけたのです。

オーストラリアdeワーキングホリデーというタイトルの本でした。

周りに海外に詳しい人もおらず、ワーキングホリデーって何?と思いながらその本を手に取った記憶があります。

その本には、当時の私には信じられないことがたくさん書いてありました。

留学ほど準備するお金は必要ないこと。

1年間は何をしてもいいこと。働く時間に制限もない。学校に行ったって、旅をしてたっていい。

留学にピンときてなかった私は、これしかないと、ワーホリについてありとあらゆもので調べ、オーストラリアに行こうと決めます。


ちなみにこの目標ができて初めて行ったカウンセリングで先生に、「何かあったのかな〜と思ったよ。顔つきが全然違うよ」と言われたのですが、人間はやりたいことを見つけるだけでも、顔つきが変わるのか、と軽い衝撃でした。

この日から、オーストラリアに行くための準備が始まります。

18歳から19歳になった冬でした。

その時には心も決まって、最後となる大学へ行く道を通り退学届を出しました。

もう大学に行かなくていい、と安心したのと共に、レールを外れた自分が出来上がりました。

続きます。


今の夫と出会うまで、あと2年。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?