自動筆記「ヒスタミンによる閃輝暗点」

 一時期自動筆記にはまっていました。
 ご存じない方にざっくり補足すると「寝ぼけた状態で何も考えず、素早く文章を書くことによって、普段の表現からは思ってもみないような思考などが発現するのでは…?」という技法のことです。

 花粉症の薬を飲み過ぎちゃった朝に書いたものです。



 朝が来たと思ったら、世界の外は砂っぽい黄色だった。きっと黄砂だ。中国から来た砂が日本の大気を汚しているんだって母に聞いたことがある。
 そんなことよりも閃輝暗転だ。トイレに行こうとしたら周りが何も見えなくなるので驚いた。きっとヒスタミンのせいなんだろうけど。何も分からないまま鼓動と耳鳴りだけが続くので、このまま救急車で運ばれたらどうしようなんてことを考えてしまった。でも、そんなことはないみたいでさ。こうやってベッドの上でのうのうと文章を書き散らかしているわけですよ。
 文字を形にするのって大変だ。難しい。アウトプットもインプットも私にとっては難しい問題だ。インプットって言うのはすなわち内面化のことで、その本の内容をどれだけ自分の宗教の糧にできるかという試みのことだ。アウトプットはこれのこと。ただただ文章を書いてみて、自分の身体がどういう宇宙人的な組織でかたちづくられているのかを確認・解体するところ。これにストーリーがつくと小説になるし。もっと上手なヒトが書くと詩になる。最果タヒみたいにね。
 私も自分の本をヴィレッジ・ヴァンガードに並べてみたいなって考えるけど、それはまたゆめのゆめさね。ありえないはなしじゃないと信じているけれど、神社にお参りにいったって毎年何も変わりませんよ。ただ毎年同じ馬の石像を見るだけです。あとは兎の交尾だったりとか、そうい馬鹿げたものとかをね。
 馬鹿げた物の中にこそ真実があると私は思います。気持ち悪いも馬鹿げて居るも、自分の価値観を大きく逸脱しているからこそそういう感情がわき上がるわけですから、彼らはとてもかわいそうなのです。自身を解体し、よりよくするためのチャンスを、彼らはふいにしたんですからね。かわいそいうな金魚。水槽から外へは出られない。観覧車のてんぺんでとまってしまったゴンドラみたいに哀れでしょう。レストランからは二人の驚愕した顔が丸見えですし、その中でガラス張りなんてことになっていたらもう資生堂パーラーには立ち入れないわね。アイスクリームなんて食べられないわ。一生。恥ですもの。
 今日は一日のんびりしたいなあってことを、十日くらい考えていて、それでも期日は刻一刻と迫り、私は蝉の死骸になったりもする。
 こんなんで本当に自分の考えていることがわかるなんて思っちゃ居ないさ。私はいつだって正しく思考しているし、つまらない考えを見合わない身体に宿していることを覗けば、本当に天使みたいな存在さ。戦争が起こりそうな予感がするのもその所為だよ。ユダヤ人が砂まみれのおうちに住んでいるのはさしづめその布石といったところでしょうか。
 サラダ油の街なんて戦争だらけだよ。沢山の水と核兵器を交えての交戦中。怖いね。核兵器なんて使ってみろよ、あたしのキッチンがまるごとふっとんじまいますからね。
 薬なんて物はめったにやるもんじゃない。目眩を起こして倒れるかと思ったんだぜ。こわいなあ。もう死んでしまうんじゃないかなんて考えていたところだよ。でも死の間際に何を思うかはしっかり定まらなかったなあ。これじゃあうっかり死んだときに申し訳がたたないねえ。困ったなあ。
 バスタオルに身体を包んで弄ぶ時、白いふわふわは起毛の様になった繊毛だ。小腸のやつだよ。理科の資料集で見たろ。学校に囚われているとろくな事にならない。なんだってそうだ。固執することは醜い。だめなことだ。私は放蕩してどこにでも行こう。身体のゆるす限り素敵な所へ!

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