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葵ちゃんの小説「学校で」

  先日持ち物の整理をしていたところ、押入れの奥から中学の卒業アルバムが出てきた。古色蒼然としたそれは、背の部分などもよれよれになっていて、物の扱いの粗かった中学時代の自分の面影を写真より鮮やかに映している。

  学級ごとに撮った写真。背の低かった自分のすぐ隣に澄ました顔で座っている少女 ー 円い眼鏡をかけたおかっぱの生徒で、冴子というのだが、あの当時から既に人間ができていてひとり異彩を放っていた ー のことを、今から話したいと思う。

  冴子は休み時間も一人黙々と机に向かい、どうかすると授業中も自分の勉強を進めているような少女だったから、彼女の思い出など無きに等しいのである。が、いくつもの薄っぺらな思い出よりも、たった1つ、いつまでも心に残り続ける思い出を、彼女は自分たちに与えてくれた。

  教師というのには、大きく分けて2つの型がある。生徒に嫌われる教師と、そうでない教師だ。これが何とも大雑把で、乱暴な分け方であることは百も承知である。しかし生徒が嫌う教師というのは、示し合わせたようにぴたりと一致するもので、自分が中学生のときは、それは家庭科の教師であった。

  家庭科の授業中、冴子は何やらうつむいて、黙々と勉強していた。彼女の真横に座っていた自分は、冴子が中々顔を上げないので、さてはまた内職しているなと心付いた。果たしてそれは当たっていて、しばらくすると教師が見とがめて、冴子にやんわりと注意を加えた。「関係ないことを授業中にするのはやめましょうね」とか何とか言ったか知らん。

  すると冴子はゆっくりと顔を上げ、自分の机の前に教師が立っているのに初めて気付いたようにぴくりと眉をしかめて、よく通る声でこう言った。

  「さあ、先生が私に、どんな態度で授業を受けるべきか指導するまでの責任はあるんでしょうか」

   騒がしかった教室が、とたんに水を打ったように静まった。冴子は別にそれを意識するでも、声ひとつ荒げるでもなしに、ただ話し合おうとする姿勢で、はっきりと物を言った。

  「そりゃ、これが先生のご機嫌を損ねたならば、それは申し訳ないですけど。でも私は別に先生の授業を侮辱するつもりでやってたんじゃございませんから。何卒誤解のなきよう。ただ時間を有効に使おうと思ったら、こうなっただけで」

教師は赤くなった。

 「侮辱とは、こういうことを言うのではないですか」

  「とんでもないです」

  冴子はまったく無表情に、自然にこう言ったので、どのくらい本気なのかは計りかねた。

「以後気をつけますね。ですが、私は先生の心を持っているわけではないので、先生が私の行動をどう感じられるかには、責任を持たないですよ。あと、責任の話が出たのでついでに言いますけど、恐れながら、先生は私ではなく他の生徒をかまうべきではないでしょうか」

「他の生徒?」

  負けてるな、と自分は子どもながら思った。沈着な冴子と、表面は威厳を保っているが顔を赤くして震えている教師。

「ええ。たとえばK君とかS君とか。ここぞとばかりに寝てるじゃありませんか」

  ここでどっと笑い声があがった。冴子は顔色ひとつ変えずに続けた。

「机のそばに行って、『ノート書いてください』って言ったって、あの人たちは書きませんよ。先生が背を向けたとたん、また寝始めるし。私よりは余程彼らに、丁寧に教えてやるべきじゃないですかね。そう思われません?私はこれできちんとお話きいてますし、ノートだってほら、この通りとってますし、テスト成績はご存知の通りですよ」

  教師は内側から爆発しそうに思われた。やっとのことでこう言った。

「だから、授業中に他のことをやっているのが授業に対する冒涜なのっ!その点では、あなたもあの人たちも同じよ」

「そうですね。先生がそう感じられたなら、私は心よりおわび申し上げます」

  冴子は無表情に言った。もともと表情に乏しい彼女の顔は、常に無表情と言うしかなかった。

「ですが、授業中に他のことをして困るとしたら、それは他ならぬ私です。そして私は困っていません。ということは、先生の責任から言って、先生が気にかけるべきは私ではない、彼らです。

  それに、私のように関係ないものを机の上に出してはいないけれど、頭の中は全く別のことを考えて注意散漫になっている人なら、見えないだけでたくさんいるのではないでしょうか。さあ、もう授業時間が終わってしまいます。すみません、中断させてしまって。どうぞお続け下さい。議論に付き合っていただいてありがとうございます」

  教師は何とも言わずに冴子に一瞥を投げ、そのまま教室を飛び出していった。

  チャイムが鳴った。

  自分たちはどっと笑い出し、騒ぎ、勝利に沸いた。憎き家庭科の教師は負かされたのだ。自分たちが存在すら忘れていた冴子によって ー

  何ごとも勝負としてしか捉えられなかった中学時代の自分の、何と幼かったことよ。



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