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胸に腫瘍ができて手術した

4年前の母親の誕生日

お祝いをしてから自分の部屋に入った。

寝る前に右胸の側面に違和感を感じた。

はっとして、左の手の先で触ってみた。

ごろっとした梅干しのタネのような塊が

右胸にあった。

成長期とかによくある、胸のしこりかな?

とおもって左の胸も触ってみた。

左には梅干しのタネのようなものはなかった。

…..

一気に胸の鼓動が高まって

それと同時にこわくなった。


昔、母親の乳がん検診についていったとき

おっぱいの模型があって、

癌ってこんな感じですと触れるコーナーがあった

そのときに触ったのとほぼ近いものがわたしの左胸にあった。


めちゃくちゃこわくなった。


「親に言ったら心配するよな、癌保険入ってなかったな、まってなんでわたし?でも違うかもしれんし、病院ひとりでいってみようかな。」

いろんな感情が一気にごちゃまぜになって

目の前が真っ暗になった

とりあえず、携帯でいろんな情報を調べてみた。


だけど

たぶんこれは腫瘍だ。


21歳のわたしにとって

癌=死ぬんだ

という発想だった。

そうなったのは、自分の親戚がほとんど癌で亡くなったからだった。


見ていた携帯を伏せた。

深呼吸をして、

なんでそうなるに至ったのか悲観的な目で

過去を遡った。

事実を受け入れる余裕がなくて

いろんなひとやもののせいにした。


でも、こわくてこわくて涙が出てきた。


すきな人にはなんていおう。

まだ勤めたばっかの職場に迷惑かけるなあ、

おかあさん心配性だから泣くだろうな


そして、いままでやってこなかったこと

挑戦を諦めたこと

大切な人に伝えられなかったこと

決断を見送ったことを事細かに思い出し、後悔した。


「あの人とまだ仲直りしていない」

「なんでもっとあのときに直接感謝を伝えなかったんだろう」

そんな些細な場面を思い出して、浅はかな自分の生き方に落胆した。


次の日、なにもなかったかのように

職場に向かった。

「胸にしこりがあるんですよね〜」

とヘラヘラしながら先輩に相談してみた。

内心はめちゃくちゃ真剣だった。

先輩にそのしこりを触らせた。

笑ってた顔がお互い、一気に真剣になる

「早く病院行きなさい」

そう言われて、わたしも覚悟した


母親と2人で車に乗ったなんかの帰り道

わたしはあたまがいっぱいで

母親となにをしゃべったか

なにをした帰り道だったのか

なにも覚えていない。

助手席で何回も泣きそうになるから

唾を飲み込んだ。

最初に出た言葉が「わたし保険に入ってなかったよね」だった。

癌は莫大なお金がかかることを知っていた。

心配で仕方がなかった。

「はいってないよ、癌になったら大変たい!」と

まだ癌の話もなにもしてないのにそう言われた。

ずしっと心に重いものがのしかかってきた。

「お母さん、胸にしこりみたいなのがある」

小さい声で何回も唾を飲み込みながら打ち明けた。

母親の顔が泣きそうになったのを覚えている

帰ってすぐに胸のしこりを確認された

そのあとわたしが部屋に戻ってからも

母親はいろんな医療関係の友達に電話していた。

その週に仕事をはやあがりして、病院へ向かった。

いろんな精密検査をしたのだけれど

やはり、黒い影が見つかった。

良性か悪性かわからないが

葉状腫瘍というものだろうと言われた。

一気に肥大するらしい。

わたしも気づかない間に4センチ近くの腫瘍になっていた。

3センチ以上の腫瘍だったら良性でも手術したほうがいいと説明を受け一旦考えることにした

胸に傷がつくのか。

命が助かればそれでいいってのはそうなんだけど

まだ21歳くらいの私にとってはその事実はおっきかった。

手術いやだな、と思いながら

いろんな人に相談したり調べたりした。

全摘出になって人工のおっぱいのひと

乳房がないひと

いろんなところに転移して

毎日生きるために闘っている人

わたしの知らなかった世界があった。


あたりまえに生活ができていたこと

そして、手術すれば特に問題ないであろう自分。

傷くらいでくよくよしていた自分。

なんか全部が恥ずかしくなった。


すきな人にも相談した。

付き合ってもないのに笑


「胸に傷がつくんだって。やだなー」

と軽い感じで愚痴を言った。

そしたら大笑いされた。

あんたはグラビアアイドルかよ」って。

予想外のツッコミすぎてわたしも笑いがでた。

でもその言葉に救われた。

わたしが気にしていた胸の傷は 

きっとそこまで他の人には気にされてない。

そんなふうにおもった。


わたしは手術をした。

4年くらいで徐々に薄くなると言われた

胸の傷は、4年たった今でもくっきり残っている


おいしいご飯が食べられること

大切な友人に囲まれて笑いあえること

自分の文章を読んでもらえること

誰かにありがとうと言われること

美しい夕暮れを眺められること

道端で転んで膝から血がでること

くしゃみをすること

大好きな人の手の感触を味わえること

その全てが生きているという実感を与えてくれることに気づかされる。

「明日死んでも後悔しない一日にしろ」


そんな名言もいつしか聞き飽き、耳に入ってこなくなっていた。

この言葉の本当の意味を考えさせられる。


死とは、日常の生の延長線上にあり、特別なものでもなんでもないのだということを。

わたしにできることはいつもと変わらぬ日常を

生と死の両方を噛み締めて

淡々と生きることなんだろう。


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