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2021年、冬、立川ー若者支援が「公共」になるチャレンジを(勝手に)始める

Youtubeチャンネルを立ち上げようかとせっせと準備をしていたら、次第に社会の雲行きは怪しくなりはじめた。ふと気づくと、毎日のように学校を飛び回っていた同僚の予定表が真っ白になった。

これほどまで「会わない」ことの価値が高まるなんて、思いもしなかったけれど、「会う」ことが前提にならない支援を確立していく必要が出てきた。

「会わない」と「会えない」は多少の類似性がある。「会わない」支援を突き詰めていけば「会えない」若者にも届きうる可能性がありそうだ。

意志や背景に明確な差異はあれど、対面性に頼らないというだけで、この2つのベクトルがどこかで交差していると思えるし、その期待値も高い。

ここまでのことになっていなければ「会わない」支援にこれだけ時間を割くことができるようになるまで5年は遅れていたように思う。

それだけ若者支援の歴史はまた浅くて、発展途上だった。
いろいろな支援の在り方に触れていくほど、確立されたものがないことがわかる。キャリアコンサルタントや臨床心理士など人的リソースのケアに係る職種はあるが、介護福祉職のような、特定の支援スキルを表す資格もキャリアも明確なものはない。

若者支援はそれだけ不明瞭だけど同時にそれだけ自由だった。
今できていることなんて、本当にできることの1%くらいかもしれない。

しかし、残念なことに、若者支援のリソースはヒト・モノ・カネのどれをとっても慢性的に不足している。公的資源が生命線が主たる財源になりがちで、それは税収として還元される就労が求められやすい。

社会的なリターンは必要な観点だし、これが若者支援の原点にあることの正しさは疑わない。ただ、若者支援が「就労」の観点からしか語られないのは、致命的ではないか。

きっかけは2020年に公開された映画『ニューヨーク公共図書館 エクスリブリス』だった。

単なる図書館ではなく、「"公共"図書館」であることの意味が突き刺さる。

ニューヨーク公共図書館は「情報の保存・共有」という図書館に求められる機能の解釈を拡張して、編み物やダンス教室、クラシック公演も展開している。大多数の利用者が求めるニーズではないかもしれないが、必要とする人がいるならできる限り実現するというスタンス。

「若者を支える」機能を持ったNPOが、その機能を最大限発揮するために、若者支援のサービス提供を拡張して捉えていくことができないだろうか、と。

振り返ると、「若者を支える」ために、家族のサポートも必要と分かれば事業展開し、支える前に予防できる可能性があるならと学齢期向けの事業をはじめ、被雇用が合わなそうな若者がいればマイクロビジネスの可能性を模索してきました。社会の要請もあって氷河期世代の支援も行うようになった。

育て上げネットのような、多種多様なアクションをするNPOってあんまりない。でも、これも「公共」の視点と、どこかのベクトルでつながっているように思える。

今年の目標はこの公共。フィランソロピーとか言い方はいろいろあるようではあるけれど、自由な在り方の若者支援の模索を行いたいと思う。

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