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スノートリップ 初めてのインド
1998年の冬、
白馬八方尾根に実習できていたインド人のスノーボーダーの案内で
同年の5月、インドの北部のマナリへスノーボードトリップに行くことになったのです。
撮影に同行していたのは
プロスノーボーダーの牛山基樹さんと
当時八方尾根スノーボードスクールの校長の大塚且悟さん。
そしてカメラマンの村上氏。
私はこのとき、ライターとして同行したのです。
マナリへはインディラ・ガンディー国際空港に入り、
一泊デリーで過ごし、
翌朝国内線で小さな空港マナリへ。
カメラマンが選手の様子を撮影しようとカメラを出した途端、
私たちに銃が向けられていて、ドキッとしたことを思い出します。
(基本的に機内や空港での撮影は禁止)
そこからは車で移動。
当時マナリにはリフトが1基かかる小さなスキー場と
スキースクールがありました。
八方尾根に研修のため来日していたインド人の選手は
このスキースクール所属でアルペン・スノーボーダー。
インドに着いた初日は元気でしたが、
2日目、マナリの村で食べた食べ物にあたってしまったようで、
早々に洗礼を受けた私。
ロケハンをみんなに任せ、
初日はほぼ寝たきり状態。
その後も高度順応のため、数日村に滞在。
村の学校へ行ったり、ご近所にお呼ばれしたり。
体調も回復し、
撮影当日には荷物を運ぶため数名のインド人の若者たちが名乗りを上げてサポートに入ってくれました。体力にはそれなりに自信はあったのし、それなりに動けるカラダでしたが、高度順応がうまくできず、結局荷物はすべて彼等にお任せ。それでもなかなか歩くのが苦しかった記憶があります。
今でも夢だったのか?
と思うこともあるのですが、
雪上を登りながら、
青い空に何匹も白い蝶が飛んでいたのが
未だに忘れられません。
私は標高3600mあたりで待つことになり、
牛山さんと大塚さんは標高約4000mくらいまでハイクアップし、
そこから滑降。2,3度撮影し直しはしましたが、
ラストは私の横をすり抜けて、そのまま一気に滑り降りていきます。
かなりのロングラン。
まだ私も後を追って滑ります。
現役で滑っていたのに
それでも足がガクガクになるほどの距離。
正直、もう十分という距離。
滑降の撮影をした翌日は
村の祭りへ。
スノーボードを持った旅。
モロッコに続き、インドへ。
この頃から《旅とスノーボード》が
私の中で一つのテーマ、ライフワークになった気がします。