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産まれたばかりの赤ちゃんと難病車椅子の母

無事に出産し、幸せいっぱいの産後・・・だったはずが、
思った様に育児ができなくて落ち込む毎日。
車椅子に乗っているだけではなく、全身の筋肉がなくなっていく筋ジストロフィーである私の育児は、頭ではわかっていたけれど、思った以上に大変だった。
それに加えてどうしようもない産後のホルモンによるうつ状態・・・
本当に命の危険もあったくらいまで追い詰められてしまったので、ぜひ障害の有無に関係なく皆さんに読んでもらえたらと思います。

これからが本当の始まり、子育て

赤ちゃんは本当に可愛い。何時間でも見ていられるし、笑顔をたくさんくれる。

夫もとても今までに見せたことのない表情で赤ちゃんをあやしながら目を細めている。赤ちゃんもニコニコと嬉しそうにしている。その幸せそうな光景を見ると涙が出そうだった。

そんな反面、大変なことも山盛りだった。赤ちゃんが産まれてからの時間はミルクにおむつ替えに本当にあっという間に過ぎていく。

3時間おきの授乳とオムツ替え、よく泣く元気な赤ちゃんに、40歳の父と母は体力がなかなかついていかなかった。

私といえば体重も増え、体の動きがただでさえ悪くなってしまった状態で、産後のメンタルも最悪だった。

それに加えてなかなか睡眠時間が確保できなかったり、慣れない育児で心も体もボロボロになってしまった。

また今まで支えてくれた夫は赤ちゃんにかかりきり。泣いている赤ちゃんを前に、抱っこも授乳もおむつ替えも一人ではできない私はなんてダメな母親なんだろうと思い、精神的に追い込まれていった。

赤ちゃんは立ってだっこをしてもらうのが小さな時から大好きで、座ったままの私の抱っこにはすぐに飽きて泣き出してしまうことが多く、それも辛かった。

また、役所から育児は手伝えないと言われていたのでそれも相当なストレスとなり、産後鬱が悪化していった。

夫への嫉妬。そして立って歩きたい!

なんでも器用にこなし、赤ちゃんがギャン泣きしていると、スッと抱っこをして赤ちゃんを泣き止ませてしまう夫に変な話だが嫉妬するようになっていた。家中のすべてのおもちゃを使って、全力であやす私がどうしてもうまくいかない時に、夫はスッとやってきてすぐに赤ちゃんを笑顔にしてしまう。

立って歩けたら私だってできるのに・・・そんな悔しきもちでいっぱいでした。

一人で生きていた時は立ちたいと思うことはあまりなかったが、赤ちゃんが産まれると立ちたいと思う瞬間だらけだった。

そんな状況を、車椅子の友達に話したところ、
「旦那さんが育児が得意なのは、健常者だからじゃない」
とあっさり。

ああ、そうか。

そう、頭ではわかっていただけど、障害者の私はなかなかうまくお世話ができない。そして障害者の育児は思った以上に大変だった。

唯一の私の役割!?そして産後うつの悪化

そんな中唯一私の出番だと思えたのが授乳だった。

こればかりは夫も変われない役。

母親である私だけの特権だと思えて幸せな時間でした。

でも、どんどん追い込まれていく私のメンタルは日に日に悪化していき、突然怒ったり、突然泣き出したりを繰り返していた。

妊娠する前は一人でいけたトイレやお風呂も誰かの手を借りなければならず、産後トイレが近くなるも、助けてくれる人がいないため3時間以上もトイレを我慢し続けたこともあった。

こんな状態なら死にたいと母親の前で大泣きしてしまったこともあった。

そんな中でも唯一の自分の出番だと思える授乳を続けるために、産後鬱の薬はできるだけ飲まなかったのでそれも精神的に結果的にとても辛くなってしまった原因だった。

赤ちゃんは可愛いのに、不安や悲しみで押しつぶされそうになって息をするのさえ苦しかった。

なんとか夫婦で乗り越えた乗り越えた100日間


そんな日々を過ごす中、赤ちゃんが生後100日を迎えた。

妊娠を諦めた時から、妊娠に踏み切り長い妊娠生活を終え、そのあとも壮絶な産後を過ごしてきて、

この日を迎えられたのが信じられない気持ちだったし、何よりも赤ちゃんがとても可愛かった。

自分にそっくりなその寝顔を見ていると幸せでいっぱいになる、本当に産まれてきてくれてありがとうの気持ちしかない。

この頃から私の体調も少しずつではあるが良くなってきた。

できないことも沢山あり落ち込むことはあるけれど、

赤ちゃんと共に泣き笑い、

今というこの奇跡の時をこれからも沢山重ねていきたいと思う。

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