非常事態だからこそ、子どもが倍速で成長した話
ひょっとしたら、この未曾有の世界危機から目を背けず、最もたくさんのことを学んでいるのは、子ども達かもしれない。
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この長い自粛生活で、幼い子がいる都心の共働き家庭が瀕死状態だ、と言う記事を読んだ。
思わず大きく頷いてしまった。
もちろん自粛生活の辛さは、十人十色できっと正解なんてないと思う。
ただ、タスクや制限が多ければ多いほど状況は辛くなる気がする。
我が家の場合はこうだ。
うちには、まだ聞き分けない5歳児と自由奔放な9歳児がいる。
閉じこもりの暮らしで食事、ゴミ、掃除など家事の量も普段の2倍に膨らんでいる。仕事も普段の6割も出来ず遅れ気味。
それでも、子ども達が少しでも普段通りに過ごさせてあげたい、学習に遅れもでないように毎日のスケジュールを組み立てる。
気分転換に散歩にでても、感染予防に関して余りに呑気な男子達に小言が増えてしまう。
そんな心配はよそに、子ども達はますます騒ぎ、喋り、自制が効かなくなってる子ども達。
そもそも、オフィスにマイホームに学校に幼稚園に子どもの遊び場、、、
全てを都心の狭いマンションの1室で適えるなど到底無理だ。
当然、家族間で苛立ちや衝突が増えた。
私達も子ども達も皆、ただ今を自分達らしく生きたくて一生懸命だった。
でも、先に未来を見つけて前進するのは、いつだって子ども達の方である。
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主人は、朝4時に起きて仕事をし、子ども達が起きてからは一旦子どもタイム。
午前中は勉強を見たり、ピアノをみたり、気晴らしに散歩。
皆んなで昼食を食べ、午後からは夫婦揃って仕事する。
そして夕飯を食べ、お風呂に入り子ども達と寝てしまう。
交代制とか色々試みてみたけど、うちにはこのスタイルが一番マシな模様。
午後は夕方まで、子どもをリビングで自由にさせている。
テレビはその後ね、よっぽどの事がないなら話しかけないでと伝えて。
本の虫の長男は本さえあれば退屈しない。
問題はまだ字も読まない5歳。
外遊びが大好きな次男は、遊具も閉鎖されて毎日退屈して、長男に八つ当たりする。
最初は、兄弟喧嘩のたびに呼ばれ、仲良く遊んでいても、やれあのおもちゃがないとか、兄が相手してくれないとか、コップ割っちゃったとか。まあ、仕事にならない。
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「かわいそうだから、新しいおもちゃでも買ってあげようか、、」と何度か思ったけど、
根本的な解決にはならない。
私も主人もイヤホンをして聞こえないようにした。
致し方なしの放置作戦である。
そんな喧騒の2ヶ月を過ごしてるうち、二人のコミュニケーション能力がいつのまにか向上したらしい。
父母の状況を考慮したり、独自ルールを作って、ちゃんと自分達で仲良く過ごすようになった。その上お手伝いにも積極的になった。
それだけではない。
遊び方が前より随分豪快でクリエイティブになった。
椅子や段ボールを使って城を作ってごっこ遊び、家中のゴミ袋を使って大きな旗を作って、扇風機でどれだけなびくか試してみたり。
リビング中の壁を使ってタープを張ったり、自分達で毎日ワクワクするような遊びを考えてる。
確実に子ども達の創造性は、豊かになった。
そう、暇な時間が子どもを育てるのは本当だと思う。
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**子ども達は、いつになく色々なパパとママをみている。 **
一緒に食事したり遊んだり叱ったりするパパママだけではなく、仕事したり、コロナに怯えたり、時には絶望したり、喧嘩したり、泣いたり。
普段の暮らしなら、子どもの前ではみせなかった姿を、自粛生活では大人も隠すことすらできない。
両親が喧嘩したり泣いたりする姿をみせるなんて、という罪悪感が私の心をずっと燻ってる。
主人に苛立ちをぶつけて「大嫌い!」と捨て台詞を吐いてしまった時だった。
後悔の念に駆られて寝室で泣いていたら、長男が横に来てくれた。
なんだかいたたまれなくて
「ママ、パパのこと嫌いだと思う?」
って聞いたら、長男は
「嫌いじゃないから言うんでしょ?」
って返ってきた。
「なんでそう思うの?」って聞いたら
「見てたらわかる。クラスの女の子も嫌いじゃないのに嫌いって言うよ。」と。
つい私は、「こんなママごめんね」と言ったら、
「誰も悪くない。ママもパパも誰も悪くない」と言う。
驚いた。
少し前まで、私と主人が喧嘩するとただ狼狽えていた長男なのに、いつのまにこんなに大人になったんだろう。
こんな情けない両親をみて、子どもは目覚しく成長してる。
皮肉な事に、いつも頑張って笑顔でいるより、今の方がずっと家族らしくなった。
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**この息苦しい生活は、色々な事を教えてくれる。 **
●習い事に勉強に旅行に、退屈そうなら新しいおもちゃ、という与えすぎの暮らしは、子どもの創造性を奪っていたこと。
●親が強く握り過ぎた手を離せば、子どもは自ら成長していくこと
●親として意識した姿じゃなく、ありのままの母や父から、子どもは多くを学ぶこと
●子どもは、親が思うより守られるだけの存在ではないこと
ひょっとしたら、パニックになった大人たちを横目に、この未曾有の大災害から目を背けず、最もたくさんのことを学ぶのは、子ども達かもしれない。
今まで多くの子ども達は、正しい姿ばかりみせる大人たち、平和な世界ばかり見ていた。
それが、世界は急に様変わりした。
今までオブラートで包まれてきた不条理や人間の弱さが、実感を伴って嫌でも見えてくる。
世の中の混沌も変わり果てたような街も、両親の喧嘩も焦燥も、どうかしっかり目に焼き付けてほしい。
そして、この世界の本質をゆっくりゆっくり見定めて、どうか未来に繋げて欲しいと思う。
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