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家事は回っている

毎日の家事がつらい。

…と、まずは言い切って、論を展開していく。

言っとくが、私は実家を出るまで、積極的に家事を手伝う娘ではなかった。そしてひとり暮らしもしてひと通りこなした結果、私は家事力があるというより『サバイバル力』があるのだと自認している。
(母も私がひとり暮らしをする際、「あやこはひとりでも、何しか用意して食べる意欲があるから、その点は安心」と言っていた)

ここで言う「家事力」とは、例えばキュウリの輪切りをしたなら、一枚一枚ちゃんと切り離せるような能力を差している。
それに対して私の「サバイバル力」とは、空腹にギャー!と泣き叫ぶ我が子に対して、ちゃちゃっと1本のキュウリに味噌マヨをつけ、よし!これ食っとけ!とそのまま渡すような感じである。かえって分かりにくくなったか。
これは、そういう人間が書いている。

今、私は結婚して母親にもなってしばらく経ったという状態で、家族みんなで取り組む、家事についての構造改革が必要だと考えている。
自分が家のことをしているのが幸せ、というタイプだったら八方丸く収まるのかもしれないが、実際はそうではなかったのだから、私が(も)幸せになれるあり方とは何だろう、と気持ちを切り替えるのが得策だ。

得策なんだが、改革はなかなか進まない。
日々をこなすので精いっぱいで、改革に時間を費やせないからだ。だから、毎日の家事がつらい、となってくる。
毎日繰り返していることに『時間に縛られ、追われるばかりで、改善しよう!と試行錯誤するも、何だか中途半端のまま』というテイストが染みついているんだもの。

そうして、こうなる。

それなりの生活リズムを目指しながら、食事のしたくを起きたとこ、出たとこ勝負でしていたり、時間も手間もかかる洗濯を『溜まってきたな、洗濯機回さなきゃ』でやっていたり、家事のことを考えたくない結果、振り回されていたような
―「私にとって文章を書くことは」おまけより

振り回されないために、先に頭を使って考えるんだ、と自分を鼓舞して今がある。
時間の使い方に、少しは『自分で操縦している感』が得られるようになったのは、ハラユキさんが言う通り、「つかれない仕組み」を作る、ということを意識するようになってからのことである。

私と夫とは、私が何度も伝えてきた結果(伝え方の良し悪しはともかく)、今、お互いとても良いコンビネーションで動けるようになっていると思う。
そう、ずっとコンビネーションが欲しかったんだ。

次は子どもたちだ。

かつての自分がそうだったように、子どもたち(特に長男)は手伝ってと言っても、暮らす上で当たり前のことだと言っても、生きる力をつけようと言っても、まぁ動かない。

私だって、私が家事の大多数をやっているんだからね!私の言う通りにやってよね!と、家族に対して『権威』を振りかざしたいわけじゃないの。平日の朝には朝の、夜には夜の、休日には休日の、疲弊することなく家庭が回る『流れ』を作りたい。

今日は「つかれない仕組み」を目指した、私の試行錯誤をつらつらと書く。

こういう時は人の話を聞くに限る

私は子育てをきっかけにモヤモヤと向き合い、開業届を出すに至っている。
きっと、最初から『わたしのなりわいは、コレ!』と言い切れる人なら、子どもが生まれても『どうやりくりしていこうか』という視点になるのだろう。だけど、私はクリエイターとしての軸も、子育ての軸も、同時進行で探る道を選んだので。

なんと体力気力のいることか、と何度も思うし、両方同時にブレていると、まるで自分の心もとなさが、荒波にもまれる木っ端のようだと思ったり。
(「木っ端」は「みじん」と仲良し…)

ぐるぐる、ぐるぐる迷いの中にいる自分には、先輩のリアルな言葉が何より響くに違いない。というわけで、話を聞きに行ったイベントがある。

ODPフォーラム『子育てクリエイターのやりくり術』

これはもう、すでに2回開催されていて、私は両方聞きに行っている。
すごく、いい…!

自分の中に起こった反応を見ると、
1回目は、先輩方の「やり方」ばかりが気になった。
2回目は、前回と異なり、話を聞きながらふっとアイデアが浮かんだり、自分軸でいろいろ考えることができた。

一番大きな収穫は、『家事は循環だ』という、自分の中にあった捉え方に気づけたことだ。添付のイラストは、その場で描いた自分のイメージ(に、後から軽く色つけた)なのだが…

作業の区切りはあれども、終わりは無い。

という循環で、回っているイメージだったのだ。

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(やっぱ回転方向は、時計回りの方がいいな)


自分にとっての家事は「循環」する流れだった

作業の区切りはあれども、終わりは無い。
...って、別に悲観的に言ってるわけじゃなくて。

こうすることで回していける、継続していけると、自分の中におさめているのが、この考え方だったのだ。

だって、子育てもしていたら、『待ったナシ』の『後回しナシ』じゃん…
回していかないと、あっという間に大渋滞、大量の停滞を生んでしまう。
使った皿や鍋は、洗えば綺麗になるが、さらにそれを棚などに片付けなくては、次の調理をおこなう余白ができぬ、みたいなことが、家庭には溢れていたんだな。

あぁお母さん、こんな私を育ててくれて本当にありがとう。


途端に、今までの色々が符合し始める

これで、ようやく分かったぞ…!
今まで夫に対して生まれた、さまざまな感情のカラクリが。

・山と積まれた、乾いた洗濯物の横で、たまたま優雅にスマホいじられるとカチンとくるワケが。
(流れをせき止めているからね。同じ理由で、その洗濯物が床に落ちると、必ず踏みつけて歩く子どもたちにも、腹が立つ)

・今日の夕食お願い、とバトンタッチを頼むと「分かった、ほな外で食べてくるわ」と返されてイラッとくるワケが。
(全くもってサステナブルじゃない手段を持ち出してくるなんて、ずるい)

・冷蔵庫の食材から献立を考えているときに、今日は餃子にしよう!買い物行ってくるわ!と言われても、素直に心から喜べないワケが。
(循環の圏外でプレーしてほしくない)

・食器の洗い残しに、モヤッとするワケが。
(洗った食器を戸棚に片付けたことがないと、洗い残しに気づかないまま。そして次のごはんを作りたいのに、もう一度洗うところから始めないといけないから)

・とりあえず干したぞ、とハンガーに引っかけられた洗濯物に、何からどう伝えたらいいのかと頭を抱えるワケが。
(次は着るんだよ…形がグズグズに崩れたのを、着るんだよ)

・洗濯機回しといたよ、と言われても、喜ぶどころか、鬼瓦のような顔になってしまうワケが。
(自分のペースで回していた「循環」に対して、大量の水を投入され、流れを激流にされたから。そこは責任持って勢いを回収していただきたい=つまり自分で干してほしい)

まだまだ出てきそうだな…私、相当深い闇を持ってるんだなぁ…(笑)

夫の名誉のために補足すると、私は彼のことを私の青い鳥と呼んでいるし、神様のような夫だと毎日思うし、折にふれて(結婚して…)と思っている。

じゅうぶん『やっている』『関わっている』からこそ、その行為が循環の観点に照らし合わせて、私の神経と抵触しているのだ。
すまんな。

あと家事について私が循環、彼が直線(終わりがゴール)だと捉えていることを、擦り合わせしないと。
コミュニケーションはお互いが同じ絵を描けることだ、って誰かも言ってた。

うん、これが自分の中から引き出せたら、後は丁寧に整えたらいいんだと思う。
それこそ、やりくり術。


循環と、サスティナブルと

ここで、ヒントになる言葉が見つかる。
タイガー魔法瓶による、次の文章の中に。

サスティナブルは人を縛るものではなく、人を自由にするものでありたい。

(中略)

そのシンプルなアクションは、地球の未来を書き換える行動。

サステナブルって、まだ自分の言葉として定着してないから、発するのにためらいがあるんだけど。
サステナブル、
サスティナブル、
どっち使おう、とか考えてるし。

この言葉を読んで、循環をサステナブルなものとできたら、その先にはより良い未来が待っているという、どこの本質にも当てはめられる、真理が書いてあると思ったから。

事業だけじゃなくて、家事だって、サステナブルにする、と考えたっていい。

家族を縛るものじゃなくて、それぞれが自由に、力強く生きていく、チカラとなるように。
未来に続くアクションを…自分から、起こすんだ。


何で自分がこんなことしなくちゃいけないの?!と、怒りを覚えるときには

とは言ってもね。
ずっと、心に引っ掛かりがあった。
家事も育児もこれだけやっているのに、どうして私がこんなことまで考えないといけないの?!と。

こう例えたら、分かりみが増すだろうか。
就職先で一切、仕事を教えてもらえないのに、大変な思いをして試行錯誤、紆余曲折ののちひと通りできるようになったら、評価もされず、感謝もされず、『新人に仕事教えといて』『誰でもできるように、マニュアル作っといて』と言われてるようなもの。
それを、通常業務と同時並行で

…腹、立たない?
私は、めちゃくちゃ立つ。

しかし、自分は先に始めてしまった側なのだ。
先駆者になってしまっているのだ。

だから、仕組み作りも「先に攻撃を仕掛ける」と思うようにして、心を落ち着かせている。
これ以外の落ち着かせ方があれば、ぜひ共有して欲しい。

朝には朝の、夜には夜の、休日には休日の、疲弊することなく家庭が回る、流れを作りたい。

次は、具体的にどう行動に移して行ったのかを書く。

ありがとうございます!自分も楽しく、見る人も楽しませる、よい絵を描く糧にさせていただきます!