友人、そして友人とおしゃべりすることについて/エッセイ
先日、友人と電話をした。長電話になった。5時間ぶっ通しで喋った。喋れでも喋れども話題は尽きなかった。ざっくばらんに、話の流れで思いつくまま色々なことを喋った。5時間ってあんなに短かっただろうか。さすがに、終わりの頃にはお互いに疲労が見えた。そりゃそうだ。
れにしても、本当に楽しかった。
人間は喋るだけでこんなに楽しめるのかと思った。
部屋の定位置に座って、ヘッドセットを首にかけて、いつもの紅茶を片手に口を動かす。はたから見ても大して楽しくは見えないだろう。だけど当の本人は、心が踊り脳みそ躍動して、まぁなんと楽しい時間なことか。
相手は大学でできた友人で、じっくり喋ったのは実に5年ぶり。5年ぶりとはいえ、気心が知れている。共有するものが多いから弾む話があり、それを土台にして跳躍できる話もある。
じゃぁ、気心が知れている人だから喋るのが楽しいのかというとそうとも限らない。
別の友人グループとも隔週くらいで、オンラインで喋っている。英語を勉強する中で知り合った人たちで、男性も女性もいて、年齢も職業もバラバラ。だけど、それがまた楽しい。それだから楽しい。
お互いに共有していないものが多いから、話が小さくならなくていい。話題が身の回りのことを離れて、抽象的なことに及ぶから楽しい。自分の知らない経験や世界を垣間見られて、感じ方や考え方が違うことを学べる。だから面白い。
私は一人の時間も大好きだ。生活の中にある程度は一人の時間がないと心が重たくなる。
だけど、この頃、こうやって友人と喋って共に過ごす時間もとても大切だと思うようになった。
友人ってともていいものだと、改めて思う。仕事で関わるのでなく、隣近所で顔を合わさないといけないわけでもない。それでも関わりたくなる人たち。生活上の必要から離れても、人が人と関わることの醍醐味がある。そこに純粋な楽しさ、面白さがある。
昨年は、読書や3DCGとかを家で黙々とやっていて、引きこもっていることが多かった。今年は人と会って喋る機会を増やしていきたい。
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