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頑張ってるのに心が満たされない理由は、他人軸で動いているからかも?!(目的を見失い、手段に囚われいる?!)

大切なお友達のお家にお邪魔した際、心温まる、おもてなしをしていただきました✨

作ってくださったお料理は、お洒落で美味しくて、出てくるタイミング、コーヒーに入れるミルクまで温められていたり、何から何まで私には真似できないことばかり。
中でも、特に感動したのが、1人ひとりに合った土地のお水を選んでくださっていたこと。

それを知った時、美味しさやお洒落さは言うまでもなく素晴らしいのですが、自分のために、どんなお水がいいかと考える時間を作ってくださった、そのことにすごく感動したんです。

もう、何から何までかっこよすぎて、参りました!!という感覚で、私は自分の家族にこんなに素敵な料理は作ってあげられない、、とポロっと弱音を吐きました。

すると、その方は、

『その人のことを考えて、心を込めて作れば、どんな料理もご馳走になる』

と言っていました。

その時、ハッとしました。
私は、ここのところ、家族に満足のいく料理ができない自分を否定し心が満たされない状況だったのですが、、

見栄えや味という手段にばかり囚われて、家族に愛を伝える(愛をこめた心のこもった料理を作る)目的を見失っていた。
ということに気付きました。
見映えや味に囚われると、自分が作った料理への相手の評価があって初めて、自分の料理の価値を認識することになる。
相手の反応に執着し、思っていた反応が返ってこないと、悲しさ、怒りへとシフトします。
ですが、そもそも、自分の愛情や心を込めて作るという気持ちから作った料理は、自分の気持ちでしかないので、自分が相手に愛があることさえ本物であれば、相手の反応なんて関係ないんですよね。
まさに、自分軸と他人軸の違い。。
自分軸で、まっすぐな愛情を大切な人に送る。
私はこちらの生き方の方が幸せを多く感じることができると思いました。

見栄えや味は二の次で、そもそも、愛をこめるという基本をすっとばしていました。
基礎あってのレベルアップだなと、肩の荷がおりました😊

背伸びせず、今自分にできることを、心を込めて丁寧にやっていく。
そのゆとりがなければ、愛や心は、込めることができない。
心のスペースを常に少し確保し、一生懸命になりすぎず、バランスのとれた感覚を大切にしたいと強く思いました❤

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