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不登校と諦め⑥

今朝も、水飛沫でびしょ濡れの洗面所を拭く。鏡まで水がはねて濡れていた。いつものことだ。濡らした犯人は既に仕事へ行って何も言えない。もう何も言う気にならない。ため息すら出ず、ひたすら「無」になって拭く。
諦めが増えていく日々だ。

嵐のような6月がもうすぐ終わる。下の子はキャンプ、田植え、地域活動、体調不良、彼は修学旅行と兄弟でイベント続きと気候変化もあり、心身共に疲れ果てた。

6月に入ってすぐ、下の子がキャンプで不在になると私と彼だけの時間が増え、いつもより苛立つようになった。体調も不安定で家事もままならない程。
彼も彼で、修学旅行が近づいていることに不安がつのり、それがストレスになっていた。でも半分楽しみでもあるようで、行かない選択はなかったようだ。

その時点で、私の頭に「もういいんじゃないか」という言葉がかすめるようになった。修学旅行に行ったら、もう中学の大きな行事は無いし、別に週1で別室登校しなくていいんじゃないか、本人も半ば嫌々だし朝は起こすのも一苦労だし送迎もつらい。少しずつ少しずつ、今までの色々なストレスが鉛のように胸の底に溜まっていた。それは私の心身を息苦しくし、日々生きる力を奪っていき、それが頭の中の「もういいんじゃないか」の言葉で、決定的なものにした。

旅行の前日、たまらず私は彼に話した。
「大きな行事は参加してこられたし、もう週1の登校もいいんじゃないか。何よりママはサポートに疲れてしまった。あなたは行きたいというから背中を押してるけど、度々、無理矢理学校行かせてる!と言われると、矛盾を感じる。嫌ならもう行かなくていいんじゃないか」

彼の答えはそれでも「行く」だった。
前なら「わかった。じゃあサポートするね」と言っていた私だが「行きたいなら自ら起きてくれ、もう任せる」としか言えなかった。日中、スマホを触るなら食事も自分でやるように言った。

彼はシェアハウスの住人。そう思うようにしたら、だいぶ気持ちが軽くなった気がする。夏休みに入ったら高校の説明会も始まるが、私は行く気になれない。私はどう動くのだろう。自分でも少し先の自分がわからない。

今読んでいる本【母という呪縛 娘という牢獄】の中で、いい言葉に出逢った。

「柳に風」 
〈やなぎにかぜ 柳が風に従ってなびくように、少しも逆らうことなく従順な人にたとえる。 また、強く出る相手を、軽く受け流すことをいう。〉

こんな風に生きられたら楽じゃないか。
そう思いつつ、頭の中で風に揺れる柳が浮かび、心に涼を感じた。


〈雪は老後に決めていることがある。
子どもが大きくなったら、1人で東南アジ 
アに移住したいと考えている。
息子に面倒を見てもらおうなんて思わない。

できるだけ自由に生きていきたい。リゾート地や贅沢な場所でなくていい。
普通の人が生きている町中で、調和なんか考えない原色の景色に囲まれて、その日のことだけを考えて暮らしたい。

お腹が空いたら屋台でご飯を食べればいい。 ナイフやフォークなんかいらない。
朝日と共に目を覚まし、自然の音を聞いて、日没を見届ける。〉


引用

 河合香織ー【母は死ねない/人生に居座る】

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