見出し画像

100年前にも「マスクの転売屋」がいた!

100年前の経験を知ることの意味

新型コロナの流行に直面した人たちが、過去の感染症・伝染病についての知見や経験に触れようと、その手の書籍が復刊・緊急増刷などされているようです。もちろん「歴史が全く同じ形で繰り返されることはない」ため、「あの時もそうだったんだから、今回も…」式に考えると間違えることも多いので、為政者や医療関係者などは注意が必要でしょう。

しかし一方で、一般市民であるところの私にとっては、過去のパンデミックに関する本を読んでいたことで、精神的に非常に安定している面があります。というのも、現在まさに次々に起きている現象のうちのいくつかは、「あ、これ本で読んだやつに似てるな」と思えるからです。

人類としては何度も何度も乗り越えてきた感染症との戦いも、「いまを生きている個人としての人間」としては初めての事態です。だから先が見えない、自分がどうなるか分からないと不安に駆られる。しかし歴史を手繰れば「先に似たような事態に直面した人たち」がどう対処したかを知ることが出来ます。見れば同じように悩み、苦しんだり、どうにかこうにか対処している。読書を通じて歴史を知ることで、「本来経験したことのない事態をほんの少し、疑似経験的に取り入れる」ことが出来るというわけです。

現代は過去と比べて医療も社会システムも衛生状態も何もかも格段に良くなっている。一方、人の死に対する耐性は下がっているかもしれません。過去には過去の、現在には現在の課題があり同じようにはいかないのですが、しかしそれでも、歴史書の中に「現在(に似た光景)」を見ると、「今も昔も、こういうことが起きるんだな……」と思え、少なくともパニックは防げるような気がします。また、「人間って変わらないんだな…」と思ったりもします。彼らも「初めての事態」だったからですね。

というわけで、私がここのところ読んでいる1918年の「スパニッシュ・インフルエンザ(スペイン風邪)」について書かれた本、アルフレッド・W・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック』(みすず書房)からいくつか「今の私たちだからこそ共感を持って読めるエピソード」をご紹介したいと思います。

なお、歴史をテーマにガチの専門家がつづっためちゃくちゃ刺さる上質な論考については岩波書店のサイトで公開しているので、以下の記事をお読みいただきたい!! 

一方、当noteではもう少しゆるいエピソードを、ゆるくご紹介します。


1.パンデミック震源地論争と陰謀論

今回の新型コロナは中国が発生地とみてほぼ間違いないのだろうと思いますが、1918年のスペイン風邪は〈専門性を持った当時の医師たちが同時代に書き残した記録だけに基づく立場に立てば、新型インフルエンザはこの年の3月に合衆国で出現したと言わざるを得ない〉としています(あくまでこの本によると、ですが)。

え、それなのに「スペイン風邪」? と思うわけですが、その点について筆者はこう書いています。

(流行から)1、2か月すると、スペイン以外の人々はみな、このインフルエンザを「スパニッシュ・インフルエンザ」と呼ぶようになっていた。しかし、それはこのインフルエンザがスペインで最初に発生したからというわけではない。たぶん、スペインが(第一次世界大戦に)参戦していなかったために戦時の情報統制もなく、自国の保険上の問題を世界に隠し通すようなことがなかったのだろう。

もし中国の情報統制が今以上に厳密で、中国で症例が公になる前に他国で患者が出ていたら……と思わずにはいられません。

また、新型コロナは発生が中国だったこと、当局が隠そうとしていた節があることから、「化学兵器ではないか」「研究所から漏れた説がある」などという憶測が飛びました。こうした憶測・陰謀論は1918年当時もあったようです。

「ロンドン・タイムズ」紙は、スパニッシュ・インフルエンザはすべてドイツ軍の陰謀だとする噂話を一笑に付し、おもに栄養不足と「戦争疲れと言われるような全般的な精神力の低下」のせいであると主張していた。

こうした噂があったからこそ、新聞が「一笑に付し」たわけです。

2.イベント自粛(閉鎖)

どうもアメリカでは当初、「大したことはないだろう」と楽観視されていたようですが、それでも「大勢の市民が集まる施設を閉鎖すべし。それが流行拡大阻止に大きく効くはずだ」という指示を出した連邦公衆衛生局長官もいました。

しかし施設閉鎖を実行に移しても拡大阻止に寄与しなかった、として、当時の「フィラデルフィア・インクワイアラー」の論説記者はこう書いているとのこと。

人々は今でも、人でいっぱいの食堂に集まったり、混み合うエレベーターに無理やり入ったり、換気状態の悪い電車の中で吊革にぶら下がったりしている。しかるに、換気のよい教会や劇場を閉鎖して、いったいなんの効果があるというのか。ちょっと理解しがたい。

確かに私も「時間差通勤で空いている電車で出勤退勤してるのに、うっかり人身事故などでダイヤが乱れると電車は3密待ったなしの混雑状況だ」と聞くとうーんと思いますし、「映画館や図書館はほとんど誰もしゃべらないからそうそう感染クラスタ化はしないんじゃないか」と思うわけですが、可能性を少しでも減らすという意味では効果がある。でもやっぱり100年前にもこういう愚痴めいた論評はあったんですね。

3.マスクの話

「政府から布マスク2枚支給」という現在の日本政府の施策はいじられにいじられまくっていますが、当時のサンフランシスコではすべての市民にマスク着用を義務付ける命令を出すことになりました。もちろん、この時のマスクとは布マスクで、「公共の場では食事をするとき以外、ガーゼのような素材を4枚重ねにしたマスクで鼻と口を覆うこと」と定めました。合言葉は「マスクをつけて自分の命を守ろう!」

サンフランシスコ市赤十字社は、1個10セントでマスクを市民に配っていたが、〈街のいかさま師たちは1個50セントという高値をふっかけていた〉とあり、なんとマスクの転売屋は当時からいたことになります!

「欧米人はマスクを嫌うようだ」と現在指摘されていますが、1918年当時の人たちは、当初は〈マスクもかけずに挨拶することが著しく礼を失することになり、かけないでいる人は他人に相手にされなくなり、「怠け者」とさげすまれるようになるだろう〉といわれていた時期もありました。が、しばらくすると嫌になってしまったのか、〈だんだんあごの下までさげるようになり、あるいはまったく着用しなくなってきた〉とのこと。そしてマスク条例違反として400人が逮捕されるなど大変な騒動に。

そしてさらなる事態が。

ついにはマスク条例下で考えられる最悪の結末がやってきた――マスクを着けていることが滑稽に見えてきたのだ。

「アベノマスク」と揶揄っている人が多い現在の日本政府の施策ですが、そのマスクを着用している人に対して「政府からもらった布マスクを着けているなんて」などと揶揄するのはやめましょうね

1918年当時もマスク自体がおそらく(多少なりと)インフルエンザ抑止に効いた部分があったにもかかわらず、マスクをしていたのに死んだ人がいたために「効果ないじゃないか」とキレる人や、あるいは功を奏したばっかりに「それほど怖いもんでもなかったな」という楽観視もあったようです。また、政治的・宗教的意識から「マスク強要はインフルエンザよりも警戒すべきもの」「個人の自由と人民の権利に対する侵害」として反発する人たちまで出る始末。

いったん収まった流行がぶり返す第2派到来前には、新聞の論調までもが「本当に(一旦解除された)マスク着用令を復活させることが正当化できるほど、今の死亡率は高いのか」という疑問を呈したといいます。が、布マスクでも、ウイルスそのものは網目を通過するが、ホコリ等に付着して吸い込むウイルスは防げるので、「しないよりはずっとマシ」だと当時も解説されていたようです。

4.葬儀にまつわる話

今回は「どうも葬儀屋が例年より忙しいらしい」とか「火葬場が混み合っている」といった不確かな情報が噂としてSNSを飛び交っていますが、当時は噂でもデマでもなく死者が多かった。そのため、アメリカ東部沿岸の公衆衛生担当者たちは、他の地域に対してこうした「最高のアドバイス」(本の著者の表現)を送ったといいます。

まず木工職人と家具職人をかき集め、棺作りを始めさせておくこと。次に、街にたむろする労務者をかき集めて墓穴を掘らせておくこと。そうしておけば、少なくとも埋葬が間に合わず死者がどんどんたまっていくといった事態は避けられるはずです。

実際に死者が増えると本当に大変なんだということが分かりますよね。ちなみに、死者が増えて棺が足らなくなり「バカ高くて立派な棺しか残っていなかった」といったことも起きていたようです。

この経験を忘れないように…

他にも、今回米海軍空母内でコロナが蔓延し艦長が惨状を訴えたのと似た状況として、当時の米海軍の艦船内でインフルが流行、まさに直視できない地獄絵図になってしまった様子や、今回、イギリスのボリス・ジョンソン首相がコロナに罹患したように当時のアメリカのウィルソン大統領がインフルにかかって大変だった……という話もありました。

こうした前例を知ることで、ほんの少しでも「今の自分たちと同じように、コロナ疲れ的なものも味わったんだろうな…」と想像できるようになるのではないでしょうか。そして同時に、我々の経験も「市井の人々のコロナ観」を後世に伝えるものとして、エッセイや日記に書き残しておきたいものだ、とも思うわけです。

というのも、『史上最悪のインフルエンザ』の副題は「忘れられたパンデミック」。死者3000万人から5000万人とまで言われるこの大災厄にもかかわらず、〈どうして我々はあのパンデミックのことを、あれほど忘れられるのか理解に苦しむ〉と著者は書いています。もちろんこれが第一次世界大戦中に起き、すぐに第二次世界大戦に突入することになったからとは言えるでしょうが、私たちの生きる現在だって、そうならないとは限らない。「何が起きていたのか」をミクロレベルで残しておくことも大事。ただし、フェイクはなしですよ。

この記事が参加している募集

サポートしていただけましたら、それを元手に本を買い、レビューを充実させます。