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父、定年退職。

陸上一筋60年。
選手として引退した後は、長い間指導者として大学陸上界、日本陸上界に尽くしてきた父。
2023年10月に70歳を迎え、この3月、定年退職を迎えた。

父が定年することに対して私自身は、まあ、そうだよな、とぼんやり思っていたけれど、実際定年の日を迎えるとなんだか込み上げるものがある。

物心ついた小学生時代、父はほとんど家にいなかった。
高尾にあるキャンパスで大学教員として働き、部活も指導していたため、朝が早く夜は遅い。土日はもちろん練習か試合。
日本代表の指導に携わっていた時期もあり、その頃は特に国内外の遠征も多く、幼い私は、もはやいま父がどこに居るかさえわかっていなかった。(小学生の時に父の知人からの電話をとり、今どこに居るかわかる?と聞かれ、「大阪」と答えたが、それを母に伝えたら欧州遠征中だった…なんてことも。)

箱根駅伝ともなれば、完全なる「かぞくごと」だった。
当時はスマホがなく、携帯電話も山道や移動中には繋がらなかったので、速報はテレビかラジオを確認するのが1番。
箱根を目指す選手を追いかける父は、要所要所で家に電話をかけてきて、最新の順位や各大学のラップタイムを確認してきた。
母と兄と私はテレビを見ながら、「この停止線を基準にしよう」と決めて、選手間の秒差を確認し、メモをとっていたのだ。

いまでも箱根駅伝は毎年欠かさずに見ているけれど、興味があるとか面白いとかではなく、誕生日にケーキを食べるのと同じ感覚で、当たり前のように箱根駅伝を見る。(そして数秒差の展開になると、どこかのラインを基準に「1秒、2秒、3秒…」と数えてしまう。)

当時、箱根駅伝の監督車やオリンピック中継でチラッとテレビに映る父は、いつもとは違う「指導者モード」で、父なのに父ではない人のように見えた。
多くの教え子が父本人の最高戦績である「アジア大会優勝」を超えて、世界の舞台で活躍したことは、指導者として、すごく幸せだったのではないかな。

ひとまず長年勤めた大学の仕事を終えた父。
今後は我が家の3兄弟のお世話を積極的に手伝ってくれるらしい。
先日、人生で初めて「大の方のオムツ替え」を成功させ、フィールドは違えど父はまだまだ進化している。(私が幼い時には、どうやらオムツ替え自体をやったことがないらしい。時代だねえ。)

これからもどうぞよろしく。
本当にお疲れ様でした。


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