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《世界史》王冠をかけた恋

こんにちは。
Ayaです。
父ジョージ5世の崩御によって即位したエドワード8世。しかしその在位はわずか325日で、『王冠をかけた恋』によって終わってしまいます。

エドワード8世(1894〜1972)

エドワード8世は1894年ジョージ5世とメアリーの間に生まれます。当時の慣例に従って乳母たちに養育されますが、そのなかの一人から虐待を受けていたそうです。
学業が始まると、数学が苦手で、よく祖父エドワード7世に愚痴っていたそうです。海軍兵学校に入校すると、いじめを受けたと自伝に記しています。
父が即位すると、王太子となります。第一次世界大戦中は前線への派遣を希望しましたが、王太子としての立場から派遣されませんでした。戦地慰問に専念し、のちに退役軍人からの人気を得ましたが、本人は前線に出れなかったことを恥じていました。
第一次世界大戦後は海外領土への訪問で人気を博し、ロイド・ジョージ首相からは『最も素晴らしい大使』との賛辞を受けています。
平民や兵士へ話しかけるなど気さくな人柄で人気を博していましたが、父ジョージ5世とは女性問題で対立してしまいます。

王太子時代のエドワード8世
多彩な趣味を持ち、ファッションに敏感など親しみやすい性格で愛されていた。

エドワードは弟たちのように結婚せず、多くの女性たちと浮名を流しました。そして運命の相手ウォリス・シンプソンに出会うのです。

ウォリス・シンプソン(1896〜1989)

ウォリス・シンプソンは1896年アメリカのペンシルヴァニア州に生まれました。後に悪口で下級階級の出身と言われていますが、地元では有名な名家でした。しかし、生後5ヶ月で父が亡くなると、貧しい生活を余儀なくされ、なんとか裕福な親戚の援助で乗り切ります。
10代で社交界デビュー。容姿は平凡でしたが、ファッションや会話術に優れ、男性との噂が絶えない生活を送ります。
20代で最初の結婚をしますが、夫のDVや浮気に耐えかね、離婚。1928年に船舶会社経営のシンプソン氏と結婚します。シンプソン氏はロンドンで会社を経営していたため、社交界とのコネクションを獲得します。

ウォリス・シンプソン
年上女性を好んだエドワードの交際相手としては珍しく年下だった。少女時代、『金持ちで、いい男と結婚するのが夢』と語っていた。

ウォリス夫妻をエドワードに紹介したのは、当時のエドワードの愛人でした。ウォリスはエドワードに一目惚れし、愛人不在の間に関係を結びます。
以後、2年間、エドワードから贈られた邸で過ごし、外遊先にも同伴しています。シンプソン氏は自身にも愛人がいたこともあり、この行いを黙認していました。後にウォリスはエドワードだけでなく、ドイツのリッペンドロップ(後のナチス政権外務大臣)とも関係を持っていたことが発覚しています。
エドワードの父ジョージ5世はこの二人の関係を激怒しました。アメリカ国籍で既婚の女性など許せなかったのでしょう。父子関係は破綻し、父の崩御まで回復しませんでした。
1936年父ジョージ5世の崩御によって、エドワードは即位します(エドワード8世)。即位式にはウォリスも立ち会いましたが、王室は友人として扱います。
このウォリスへの扱いに激怒したエドワードは、パーティーの席上でシンプソン氏を『さっさと離婚しろ』と恫喝・暴行しました。
ウォリスは正式にシンプソン氏と離婚しますが、報道合戦が加熱します。アメリカでは史上初のイギリス王妃誕生と好意的に書かれましたが、イギリスではこき下ろされました。普段気丈なウォリスもカンヌに避難します。
エドワードはあくまで彼女との結婚を希望しましたが、首相をはじめ議会から同意を得られませんでした。王制自体の存続を危惧した政府から、ウォリスと別れて王位を維持するか、退位するかの選択を迫られます。
エドワードは後者を選択し、退位を宣言。
即位期間はわずか325日でした。退位宣言後、イギリスを去ります。

皆様、私が愛する女性の助けと支援なしに重責を背負い、国王としての自らの義務を果たすことは不可能であるという私の言葉を信じてください。
エドワード8世の退位宣言

ウィンザー公として

イギリス出国した後、ウォリスと再会し、結婚します。結婚式はたった16人の参列で、王室からは誰も参列しませんでした。
弟ジョージ6世からエドワードはウィンザー公の称号を与えられますが、ウォリスはその夫人とは認められませんでした。エドワードはほとぼりが覚めたら帰国できると思っていたようですが、当然ながら拒否されます。
フランスで暮らしていたウィンザー公爵夫妻はナチス政権から目をつけられます。ヒトラーはイギリスを傘下に収めたら、傀儡としてエドワードを据えるつもりだったのです。待遇に気を良くした夫妻はナチス政権に急接近していきます。接近を危惧したイギリス政府はエドワードをバハマ総督に任じ、ヨーロッパから遠ざけます。バハマでも人種差別的な行動が多く、嫌われていました。

ヒトラーとウィンザー公夫妻

第二次世界大戦後はパリに戻り、悠々自適な生活を送ります。依然として、王室からは許されておらず、弟ジョージ6世の葬儀には、エドワードのみ参列しました。姪エリザベス2世の戴冠式はテレビ中継のみですませました。
1965年になって、やっと夫妻での公式行事への参加を許されます。1972年エドワードは薨去します。享年77歳。すでに夫婦仲は冷めきっていたと言われていますが、ウォリスは泣きじゃくりました。
1986年ウォリスは亡くなります。享年89歳。二人の遺体はウィンザー城近郊の墓地で眠っています。

晩年のウィンザー公夫妻
『もし時計の針を戻せたとしても、同じ道を選んだでしょう』と答えている。

有名な『王冠をかけた恋』、まとめました。愛人としてなら認められた可能性がありますが、あくまでエドワードが結婚にこだわって、ノイローゼになったというのが真相のようです。
次は『英国王のスピーチ』のジョージ6世と現在のエリザベス2世です!

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