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《美術史》世紀の贋作事件

こんにちは。
Ayaです。
今日はナチスを騙したヤン・メーヘレンについて取り上げます。

アカデミーに認められず、画家になるのを諦めたヒトラー。権力を掌握すると、キュビズムやタダイズムを『退廃美術』と定義して弾圧し、ナチズムを賞賛する美術を奨励しました。
一方で、美術に対するコンプレックスは生涯消えなかったようで、ドイツや占領地各地のコレクションから美術品を略奪しました。終戦直後から返還の取り組みがなされていますが、いまだ10万点が行方不明です。

クリムト『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I』
略奪された美術品のひとつ。モデルはすでに死去、ユダヤ人の夫はスイスに亡命し、資産をナチスに差し押さえられてしまった。戦後所有権を取り戻したが、姪の相続を指定して死去。姪はアメリカに住んでおり持って帰る予定だったが、オーストリア政府が拒否。裁判で勝訴。

そんな状況である男が逮捕されます。彼こそ、ハン・ファン・メーヘレンです。

ハン・ファン・メーヘレン(1889〜1947)

ハン・ファン・メーヘレンは1889年オランダで生まれます。若い頃から画家を目指し、一度受賞まで果たしますが、複製画を無断で作成したため、美術界を追放されます。修復師やポストカード、挿絵の作成で糊口をしのぎますが、生活のため贋作に手をつけます。
メーヘレンは17世紀のオランダ画家の贋作を主に手掛けました。知人から頼まれたフランス・ハンスの贋作を修復師の知識も総動員して仕上げますが、疑った専門家に検査され、バレてしまいます。その専門家が使ったのはアルコールで作品の表面を拭くという方法で、まだ新しいメーヘレンの贋作は絵の具がとれてしまったのです。
メーヘレンはこの専門家への復讐に燃えます。ハンスの贋作でバレた絵の具の問題は描いた後オーブンに入れることで解決します。問題を解決したメーヘレンはこの専門家がフェルメールを研究していることから、フェルメールのタッチを懸命に身につけます。こうしてできたのが、『エマオの晩餐』です。

『エマオの晩餐』

この作品を持ち込まれた専門家はアルコール検査のみで簡単にフェルメールの新作と認めてしまいます。当時フェルメールは研究されはじめたばかりで、宗教画は大変珍しいものだったのです。メーヘレンの狙いよりも大きく取り上げられ、この作品は美術館にフェルメール作品として展示されることとなったのです。
因縁の専門家を騙し、臥薪嘗胆を果たしたメーヘレン。この後もフェルメールの贋作作りを継続します。
その中の一作『姦淫の女』がある人物に買い取られます。

『姦淫の女』

この人物こそ、ヒトラーに次ぐナチ党第2位のゲーリングです。彼は享楽的で派手な生活を送り、美術品収集(もとい略奪)を趣味としていたのです。

美術品を鑑賞するゲーリング

贋作であることがバレたら殺されると怯えたメーヘレンでしたが、ゲーリングはなんと15億円で購入したのです。さすがのゲーリングもすべてを現金で支払うのは難しく、自分のコレクション(略奪によるものですが)の一部も手放すほどでした。
巨額の財産を得て悠々自適に過ごすメーヘレンでしたが、敗戦後ゲーリングとの取引がバレ、国家反逆罪で逮捕されてしまったのです。

売国奴から英雄へ

逮捕された当初黙秘していたメーヘレンですが、ついに自白します。「たしかにゲーリングには絵を売ったが、あれはフェルメールの作品ではなく、自分の手による贋作だ」。しかも、「ゲーリングに売った絵以外にもある。美術館に展示されている『エマオの晩餐』もだ」と自白したのです。警察はびっくりして当初は取り合いませんでした。国家反逆罪より詐欺罪のほうがよっぽど軽いからです。その上、『エマオの晩餐』はすでに専門家が本物と認めているのです。警察があまりに信じようとしないので、メーヘレンは「なんならここで描いてもいい、新しいフェルメールの贋作を目の前で描く」と言いはじめます。かくして、拘置所内で検察官の前で贋作を描く前代未聞の事態が発生したのです。

拘置所内でフェルメールの贋作を描くメーヘレン

検察官は驚きました。メーヘレンはすでに酒や薬物に溺れ、『エマオの晩餐』を描いたときのような緻密さは失ったものの、フェルメール風の作品ができたからです。
この作品は裁判所に証拠として提示されました。新聞はメーヘレンを売国奴と報じていましたが、一転ナチスに偽物を売りつけて我が国の作品を取り戻した英雄と取り上げるようになります。裁判でなぜ贋作を描き続けたのかと問われると、「過小評価されてきた自分の能力を贋作を作ることで認めてほしかった」と語りました。結局、メーヘレンには禁錮一年の刑が言い渡されました。メーヘレンのもとには制作依頼が殺到しましたが、すでに酒と薬物で体を壊しており、1947年亡くなりました。享年58歳。

いまでは『エマオの晩餐』についてフェルメールの特有の光の表現や手の描き方が不十分で、とてもフェルメールの作品とは思えないという意見が一般的です。しかし、それは『エマオの晩餐』はメーヘレンによる贋作であるということを知っているから言えるのであって、しかも当時の専門家はフェルメールの新作を発見したかったのです。メーヘレンのターゲットの専門家は発覚時すでに亡くなっていましたが、フェルメール新作の発見者としての名誉欲がなかったとはいえません。しかも、一般の人々は専門家の意見を鵜呑みにし、メーヘレンの贋作をフェルメールの新作だと思い込んでいたのです。この事件から学ばなければならないことでしょう。
現在、『エマオの晩餐』はメーヘレンの作品として展示されています。人間の名誉欲と思い込みの恐ろしさの教訓として忘れられないためです。

『世紀の贋作事件』、まとめ終わりました〜。『大恐慌』から7回、暗ーい話にお付き合いいただきありがとうございます。
明日は無駄話を更新する予定です!


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