《世界史》ウェストファリア条約
こんにちは。
Ayaです。
1619年ルドルフ2世・マティアス兄弟に子供がいなかったため、従弟のフェルディナンド2世(1578〜1637)が即位しました。彼がルター派に不寛容な政策をとっていたため、三十年戦争(1618〜1648)が勃発します。
彼以降からマリア・テレジアの父カール6世までまとめます。
フェルディナンド2世(1578〜1637)
1578年マクシミリアン2世の弟とマクシミリアン2世の娘(叔父姪婚)との間に生ました。従兄にして叔父のマティアスの崩御によって即位します。しかし、ルター派に不寛容な政策で知られていたため、ルター派貴族が反乱を起こします。そのうちフランスをはじめ各国の介入を招き、国際戦争となります。その悲惨な戦況は『最後で最大の宗教戦争』と言われます。結局彼の治世では終結できず、1637年崩御します。享年59歳。
フェルディナンド3世(1608〜1657)
父の死により、三十年戦争を引き継ぎ、1646年のウェストファリア条約により終結させます。しかし、この世界初の国際条約は諸侯の特権をさらに強化し、スイス・オランダの独立を認めたため、『神聖ローマ帝国の死亡診断書』と呼ばれます。事実上の神聖ローマ帝国の崩壊でした(名実ともに消滅するのはナポレオン戦争時)。1657年権勢を回復できないまま崩御。享年48歳。
レオポルト1世(1640〜1705)
父の代で失われつつあった権勢を回復させるため、オスマン帝国と戦い、領土を東方に拡大しました。しかしその地域は教会や貴族の力が強く、完全な権勢の復活にはまだ程遠かったです。最初の妃はフェリペ4世王女マルガリータ・テレサで、その婚礼は華やかなものでした。マルガリータの死後は2人の妃を迎えます。音楽家として作曲も行い、『バロック大帝』と呼ばれました。1705年崩御、享年64歳。
ヨーゼフ1世(1678〜1711)
1678年レオポルト1世と3番目の妃エレオノーレの長男として生まれます。1705年父の崩御を受けて即位します。スペイン・ハプスブルグ家が断絶したため、弟カールを送り込もうと、ルイ14世とスペイン継承戦争を戦います。内政では官僚制を改革し、財政を健全化させます。しかし1711年崩御、享年33歳。娘2人いましたが、男子がいなかったため、弟カールが継承しました。
カール6世(1685〜1740)
1685年レオポルト1世と3番目の妃エレオノーレの次男として生まれます。スペイン・ハプスブルグ家断絶後には兄からスペイン王継承候補として擁立されますが、1711年兄自身の崩御により、即位します。結局スペイン継承戦争ではルイ14世に敗れ、スペインはブルボン家の勢力下にくだります。
その一方、領土の拡大に成功しますが、後継者問題に悩まされます。男子がおらず、特例として娘のマリア・テレジアに家督を継承させる国事詔書を作成、各国に承諾を求めました。しかし、兄ヨーゼフ1世の娘たちの存在を無視したため、後年のオーストリア継承戦争を招きます。
1736年娘マリア・テレジアがロレーヌ公国公子フランツ・シュテファンと結婚したため、男子の孫誕生を期待しましたが、見届けられず1740年崩御。享年56歳。
逸話によると、隣国プロイセンのフリードリヒ親子が確執関係にあり、息子のフリードリヒが廃嫡されそうになると、その仲介に乗り出すなど優しい一面もあったようです。この息子が後のフリードリヒ2世で、娘マリア・テレジアの不倶戴天の敵となるのですが、その話はまた後日にしようと思います。
オーストリア・ハプスブルグ家、カール6世までまとめ終わりました。次のマリア・テレジアからは夫のフランツの実家とあわせて、ハプスブルグ・ロートリンゲン家と呼ばれるので、ここで一旦区切りとします。
次回はロシアのピョートル雷帝からロマノフ王朝成立までをまとめようと思ってます。ピョートル雷帝はヘンリー8世もびっくりの7人の妃がいたり、なかなかぶっ飛んだ逸話がたくさんでまとめづらいですが、頑張ります。
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