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《世界史》破滅の美女ローラ・モンテスと狂王ルートヴィヒ2世

こんにちは。
今日はエリザベートの実家ヴィッテンスバッハ家の二人の国王についてです。
ハプスブルグ家が代々皇帝を務めていた神聖ローマ帝国は三十年戦争で瓦解、大小の諸侯が強い権限を持つようになります。急速に力をつけたのは北ドイツを支配したホーエンツォレルン家(プロイセン王家、後にドイツ帝国を設立する)でしたが、南のバイエルン地方を支配したのが、今回取り上げるヴィッテンスバッハ家でした。ヴィッテンスバッハ家には有名な君主が2人います。

ルートヴィヒ1世(1786〜1868)

ルートヴィヒ1世は1786年フランスのストラスブールで生まれます。父マクシミリアン1世がフランス陸軍に出仕しており、名付け親にはルイ16世がなりました。父マクシミリアン1世がバイエルン王国(それまでは選帝侯領)を成立させ、ルートヴィヒは1825年第2代国王となります。自由主義的な改革に取り組みますが、フランスの七月革命後は反動に転じています。
彼はバイエルンの都ミュンヘンの再開発や工業化に励む一方、芸術を愛好しました。特に美人には目がなく、自分好みの女性36人を画家に命じて描かせています。ただの色好みではなく、一種の崇拝に近かったようです。女性たちの身分は問わず、靴職人の娘から王族まで幅広くモデルをつとめています。
そんな彼ですが、ある女性に運命を狂わされます。

バイエルン王国 ルートヴィヒ1世
美人画ギャラリー
36人の美女が描かれている。最上段の左から2人目がフランツ・ヨーゼフ1世の母ゾフィー、下段の右から2人目がローラ・モンテス。

破滅の美女ローラ・モンテス(1823?〜1861)

ローラ・モンテスの出生年は正確にわかっていません。1823年に洗礼を受けた記録があるので、それまでの生まれでしょう。本名はエリザベス・ロザンナ・ギルバート。16歳の頃、男と駆け落ちしたものの別れ、ローラ・モンテスの芸名でダンサーデビューします。彼女は自慢の黒髪を活かし、スペイン貴族の隠し子を自称していました。その煽情的な踊りは一躍有名になり、数多のパトロンを持つようになります。特にフランツ・リストは彼女を恋人ジョルジュ・サンドのサロンに招いて、上流社会に紹介しています。しかし、彼女をめぐる決闘事件が起きて、フランスにいられなくなり、バイエルンに渡ります。
バイエルンでは旅券の更新を直訴しようと、ルートヴィヒ1世のもとを訪れます。ルートヴィヒ1世はすぐ彼女に誘惑され、愛人にします。すでに老年を迎えていたルートヴィヒ1世は彼女を溺愛しました。爵位や年金だけならまだ許されますが、彼女は調子に乗ったのか政治介入までして、国民から嫌われます。長年世間を渡ってきたためか肝が据わっていて、自身の邸を襲ってきた民衆をシャンパンやチョコレートでもてなしました。さすがに廷臣たちも従っておれず、ルートヴィヒ1世を退位させてしまいます。後ろ盾を失ったローラはイギリスに逃れます。イギリスの後はアメリカやオーストラリアを放浪した後1861年亡くなりました。ルートヴィヒ1世も失意のなか崩御しました。

ローラ・モンテス
ルートヴィヒ1世が描かせた36人の美人画の一枚。
実際のローラ
追放後も奔放にいきたが、晩年は打って変わり、信仰に生きたという。

狂王ルートヴィヒ2世(1845〜1886)

父ルートヴィヒ1世を退位させ即位したマクシミリアン2世ですが、悩みがありました。長男ルートヴィヒ2世がゲルマン神話や騎士伝説に熱中し、政務に関心を持たなかったのです。とはいえ、ルートヴィヒ2世は美男で国民的人気は高かったです。

バイエルン王国 ルートヴィヒ2世


ルートヴィヒ2世がいつから同性愛嗜好を自覚したのかは定かではありません。十代後半の頃には男性の恋人がいたので、宮廷内では公然の秘密でした。
女性で親しかったのは、親戚のフランツ・ヨーゼフ1世皇后エリザベートぐらいでした。お互い変人と思われていたので、気が合ったのでしょう。エリザベートも彼を心配したのか、自分の妹ゾフィーを紹介します。ゾフィーは彼の大好きだったワーグナーのファンでしたし、エリザベートの妹ならと彼も思ったことでしょう。二人は婚約しますが、いつまで経っても結婚に踏み切ろうとしないため、ゾフィーの父によって破談にされてしまいます。エリザベートは怒りましたが、そのままルートヴィヒ2世との付き合いを続けました。お互いに孤独な人間でしたので、求め合っていたのかもしれません。

ルートヴィヒ2世と元婚約者ゾフィー
婚約を破棄されたゾフィーはすぐフランスに嫁ぐ。バザーの手伝いに来てたとき、火事に遭遇し、ボランティアの娘たちを逃す間になくなってしまう。


女性に関して祖父と正反対だった彼ですが、祖父と同じく熱中したものがありました。それはワーグナーと城作りでした。即位するとすぐ生活に困窮していたワーグナーを高額な年俸で招きました。ワーグナーはなかなかクセの強い人物でしたので、批判されました。さらにその音楽でさらに幼い頃の夢を実現したくなったのか、城を3つつくりました。中でも有名なのが、ノイシュヴァンシュタイン城です。

ノイシュヴァンシュタイン城
この他に敬愛していたルイ14世を真似て、ヴェルサイユ宮殿やグラン=トリアノンを模倣した城も建設した。

しかし、バイエルン王国は小規模な経済規模でしたので度重なる浪費で火の車となります。しかも弟が発狂した頃から、ルイ14世とマリー・アントワネットの胸像と話しながら食事をしたり、奇怪な行動も多くなっていきます。1886年廷臣たちはルートヴィヒ2世の叔父の了承を得て、彼を退位させ、幽閉してしまいます。医師に精神病の診断書を書かせた上での対応でした。
その翌日、城近くの湖でルートヴィヒ2世と医師の遺体が見つかります。ルートヴィヒ2世が自殺しようとして医師を道連れにしたのか、それとも医師を殺害して逃げようとしたのか、真相は謎です。
バイエルン王国はルートヴィヒ2世の弟が継承しますが、精神病でしたので叔父が摂政を務めます。弟が亡くなると、叔父の子どもが継承しましたが、ドイツ革命で逃亡しました。

ヴィッテンスバッハ家の2人の王についてまとめました。当時は浪費の象徴だったノイシュヴァンシュタイン城ですが、今は重要な観光資源ですね。現ヴィッテンスバッハ家当主は同性愛を公表しているそうです。時代は進みましたね〜。
次はルートヴィヒ2世の親戚にして理解者エリザベートについてまとめます。

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