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当たり前は当たり前ではなかった。「水の中は息ができず苦しい」という当たり前がくつがえった話

前世で溺死した経験があるのではと疑うほど水が恐怖でした。
学生時代プールの時間は息継ぎする度に鼻か口に水が入りパニック状態。「水の中は苦しい場所」という当たり前を抱え40代後半を迎えます。

泳げないまま一生を終えてよいのか。

ひょんなことから、2023年9月頭にスポーツクラブに入会。
スイミングのレッスンなんか参加せず(派閥がありそうで怖いから)、
たまにYouTubeで泳ぎ方を研究し、10月は週2ペースで入水、
一人もがき続けました。

もがくうちに息継ぎができるようになり
立たずに端まで泳げるようになり
12月に入りタイムを計ると25メートルを30秒で泳ぎました。

あんなに恐怖だった場所が、行きたい場所に変わりました。
「水の中は息ができず苦しい場所」という私の中の当たり前がくつがえったようです。

もちろん、水の中では息はできません。
ただ、今生きている酸素のある場所で、「当たり前に」している呼吸が
できないだけということ。

「水の中は息ができず苦しい場所」という私の中の当たり前が
「水の中では酸素のある場所とは違う呼吸の仕方をすれば苦しくない」
と変化しました。

そもそも「当たり前」ってなんだろう。
「当たり前」は私の中や世の中に溢れています。

・寝る前に高カロリーのものを食べたら太る
・お金は使ったらなくなる
・年齢を重ねれば体の機能は衰える
・メイクを落とさずに寝ると肌が荒れる
・病気を治すためには病院に行く

これらは本当に「当たり前」なのかな。

そんな「当たり前」を疑ってみたり
そうじゃないかもしれないと問いを立てることで

新しい世界が見えたり、新しい発見が生まれたり、
新しい製品やサービスが生まれたりするのかもしれない。

先日
「25mを16秒で泳いだ」という方の投稿を読み
来年の目標は25mを15秒で泳ぐことにしました。

「当たり前」を疑うことで、見える世界は変化するのかもしれない。
その先の世界を見てみたいとちょっぴり思うのです。





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