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誰がミニスカートを「発明」したのか?~マリー・クワントの功績について~

ミニスカートが世界中で大流行した1960年代、時代の顔ともいえる一人のデザイナーがいました。

Mary Quant:マリー・クワント

デイジーのロゴがキュートなコスメラインを通じて、彼女をご存じの方も多いかもしれません。

昨年2019年、ロンドンのV&A博物館ではMARY QUANT展が開催されました。

また、昨年は同じくロンドンのファッションアンドテキスタイル博物館でもスウィンギン・ロンドン展を開催。

時代を代表するデザイナーである彼女の名前を、様々な場面で目にすることがありました。
昨年私はどちらも観に行くことができたのですが、当時の衣服や小物が満載のボリュームのある展示で最&高でした…!

60年代オタの私としてはこの流れは嬉しい限り…なのですが、「なんで今更、スウィンギン?」という疑問を、マリー・クワントのキャリアや、彼女が作った衣服を通じて探ってみたいと思います。

マリー・クワントの生い立ち

クワントの経歴は、若者が持つ力が爆発したスウィンギン・ロンドンの風潮を体現したような、輝かしいものです。

ウェールズの炭鉱出身の両親を持つ彼女は、ロンドンのゴールドスミス・カレッジ・オブ・アートに奨学生として入学しました。
(この、「地方の労働者階級出身の若者が、奨学金を得てロンドンのアートスクールで学ぶ」という図式がまさに、階級格差が狭まり、教育機会が均等に開かれていったと言われる、60年代そのものという感じなのです。
また、同時代は女性解放運動が大変盛んで、女子の進学や就職について盛んに議論された時代でもありました。)

1955年には、ロンドンのキングス・ロードに最初のショップ「BAZZAR:バザー」をオープン。当時の彼女は若干21歳でした。
このお店は、おしゃれな中産階級の若者たちをターゲットにした、これまでにない「若者向けファッション」を専門に取り扱うセレクトショップのような場所で、オープン当初から大変な人気だったそうです。

バザーでは、当初は買い付けした衣服を販売していましたが、人気が高まるにつれ、クワント自身がデザインした服も展開するようになります。
彼女が最初に作ったのは、なんとパジャマだったのですが、それが『Harper's Bazaar』というハイファッション誌の英国版で取り上げられたことで、彼女と彼女のショップはますます人気を集めるようになります。

クワントは当時の花形職業である「起業家デザイナー」の先駆けで、キュートなボブヘアーに自身がデザインした洋服を着て、自ら広告に立つことでも注目を集めます。

こうして彼女は、ミニスカートとともにロンドンの「顔」となっていったのです。

その後も順調に事業を拡大していったクワントは、1962年にはアメリカへ進出します。
マリー・クワントのブランドは当初、労働者階級ではなく、中産階級を顧客ターゲットにしていました。
しかしアメリカ進出に伴い、大手デパートチェーンとのライセンス契約を締結、「MARY QUANT GINGER GROUP」として世界進出を果たしたことで、「普通の女の子」でも手に取ることができる既製服を大規模に展開していくようになります。

彼女はそれまでファッション業界の主流だった「裕福でエリート、成熟した」女性像を覆し、「若くて気取らず自然体、都会的で、積極的に新しいスタイルを取り入れる」という新しい女性像を体現しました。

そして彼女の作り出した「誰もが手に取ることができる」洋服たちは、60年代の理想であるClassless:階級のないスタイルそのものだったのです。

新しい素材、新しい色、新しい価値観

ここからは、彼女の代表的なドレスからその功績を読み取ってみましょう。

マリー・クワントは、パステルカラーがメインだった女性の衣服に黒や大胆な原色を取り入れ、PVCなどの新素材も巧みに利用した、新しい服作りをしていきます。

1965年:天然麻にシルクのトリミングを施した、エプロンドレス

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ド派手でスウィンギン♪な60年代の流行をご存じの方からすると、一見地味…?とも感じられるかもしれないこちら。
しかし、この一着は「キングスロード(=彼女のお店もあった、当時のロンドン随一のおしゃれな通り)の住人たちのライフスタイルと夢を語っている」といいます。

ベースは一見シンプルなラインのミニスカート、タートルネックのセーターののど元までベルトを伸ばし、大きなバックルで止めてホルターネックを作り出す。このアンサンブルは、クワントと彼女の世代が提唱した新しいフェミニンさを多面的に追及している。
見るからに着やすそうで、手入れも簡単、忙しい現代都市生活にぴったりだ。だが着心地と実用性ばかりではない。
このスタイルからは、ボヘミアンの反逆(強い黒の使用)、洗練された視覚効果(遊びのある素材、ユニークな形、大胆なアクセサリー使い)、少女の無垢さ(ヒップを狭めた形のドレスは、同素材の少年風のキャップとコーディネートされていた)が読み取れる。
(スウィンギン・シックスティーズ ファッション・イン・ロンドン1955-1970より引用)

50年代まで、女性にとって黒は「喪服の色」ととらえられていたこともあり、女性服はパステルカラーがメインで、日常的に黒い服を着ることはありませんでした。
そんなわけで、「黒」は「強い色」だったのです。

マリークワントの活躍は、女性のワードローブに一層の華やかさ、そして黒という「強い色」を持ち込む一助となったのです。

1966年:ジャージー素材のドレス

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クワントが、彼女のブランド「GINGER GROUP」用にデザインしたもの。
スポーティーなジャージードレスは豊富な色と形で展開され、ブランドの看板商品の一つとなったそう。

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