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『死ぬまで、生きる日記』を読んで。

この本は、10歳から25年間も「死にたい」という”発作”を抱えてきた筆者が、オンラインカウンセラーの”本田さん”と出会い、対話する中で、彼女の内にある「死にたい」の正体と向き合っていく物語である。


「私は火星からやってきたスパイなのかもしれない」


パッと目次を開くと、最初のチャプタータイトルが目に入る。
【私は火星からやってきたスパイなのかもしれない】

そういえば、私も学生時代、友人達から「宇宙人」と、揶揄われて呼ばれていたことがふと思い出されて、その日は読むのを止めた。

別に、悲しい気持ちなどがあったわけでもない。たぶん、これは、自分の物語と近い、ということが感覚的に分かって、緊張したのだと思う。


さて、本の中では、本名を隠した筆者と、カウンセラー本田さんとのZOOMのやりとりのなかで、さまざまな角度から「死にたい」を解きほぐしていく。

  • どんな時にその思いが出てくるか、を思い出す。

  • 感情をメタファーとして、伝え続ける

  • マザーリングの手法:解決しようとしない。感情の存在自体を否定せず、ただ受け入れる。そうすることで、その感情は、ただの事象となる。

  • 死にたい、を別の言葉で言い換えると?「(火星に)帰りたい」「書きたい」「切ない」「寂しい」

など。


掘り起こす内に、彼女の生い立ちである、韓国人の母親への想いと、母子家庭になった後、母親を支えなくては行けない責任感などが、広く語られる。

本の話はこの辺に。


全体として、筆者の気持ちがわかると同時に、
筆者と私が一つ大きく違うなと思うのは、私が何年も抱えている想いは「死にたい」ではなく、「なんのために生きているのだろう」だった。

本の中で筆者の「死にたい」という感情は、原因不明の、突然やってくる、感情の落ち込みである。

一方、私の「なんのために生きているのだろう」は、自分の生きる意味(方向性)が見つけられないことに対して、「生きる意味なんて無いのなら、いつ死んでもいいのではないか?」という考えに繋がる、【やりどころのなさ】だと思った。



「大事な話を聞いてくれる人がいなくなる」

話を、ジャッジせずに、聞いてくれる人がいるというのは、本当にありがたいことだなと思う。

昔好きだった人に言われた「あなたは僕に頼りたかっただけだと思うよ」も、旅先で、仲良くなりかけてた人に話した深夜の「その家族との感情を消化しないと、進めないよ」も。

その会話の最中は、うんうん、と聞きながら泣いたりしていたけど、心の中では悔しかった。ああ、また置いてけぼりにされたなぁ、という気がした。

頭では分かっていて、理解している。家族は家族なりのやり方で、愛してくれたし、丁寧に向き合って育ててくれた。

生まれてすぐ母子家庭だった私は、小学生高学年まで、祖父宅に預けられて暮らした。一緒に暮らしていた祖母は、パーキンソン病を患っていて、寝たきりの状態が次第に長くなっていた。
母は1,2週間に1度、週末に私に会いに来ていた。

母と祖父の仲が、そんなに良くなかったので、時々2人が言い合いをしている間は、1人で外に出て団地の公園に行ったり、徒歩1分の幼馴染の家に行ったりしていた。

あの頃、人知れず寂しかった、という感情は、分厚いアルバムの最初の方のページに写真がずっと埋まってないみたいに、空白のままなのだ。

今ここで、そこにイラストを描けば、満たされるのか、というわけでは無い。無いものは、無いのだ。


昔と変わったこと


社会人になりたての頃までは、強くならなくちゃと思っていた。頼る兄妹もいないので、1人で自立して、常に力強く生きていかなきゃと、無意識的に、雰囲気にまとっていたと思う。

でも、やめた。強くない時の自分でも、「そんな時もあるよね」と、ただそばで聞いてくれる人が、ぽつりぽつりと増えたから。解決するでもなく、ただ聴いてくれる人。

自分で、自分と、対話することもできるようになった。
定期的に「なんのために生きているのだろう」の感情が爆発しそうになったときは、スマホを閉じて、お香を焚いて、「何かそう思うきっかけはあったかな?」とか、「どうせ生きているなら、大事にしたいものって何かな」とか、ノートに書きだすようにした。だんだんと、最初の昂った感情はクーリングされていくようになった。

自分自身を俯瞰してみれるようになった反動として、狂ったような熱量の波に乗ってそのまま突き進んでしまう、ということが減った。いい意味で、自分をコントロールできるようになった反面、爆発力が多少弱まったように感じるのはどこか寂しい。

それでも、まだ定期的に必ず、生きている意味を探したくなるし、対話の中で、その答えらしきものが見つかって、進んでいる瞬間は、どうしようもなく、心地がいい。だから、今はこのままで。自分らしくいきます。



さて、読んだ直後の勢いのまま、一時間くらいでわっと、書き並べてみた。

内面を開けっぴろげに書くことは恥ずかしいけれど、私以外にも、「じつはずっと〇〇な思いを抱えてきた人」って、いると思う。

焚き火でも囲みながら、じっくり語り合う夜が増えるような、そんな夏になればいいな。

そんな7月の、ある週末です。


ここまで、読んでくださってありがとうございます。


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