欠けた部分に名前をつけて
どうしてうまくできないんだろう。
と、ぼんやり疑問に感じ出したのは、中学生くらいだったでしょうか。
人の輪に上手に加わることが苦手で、新しい環境に死ぬほど緊張する。
仲が良くなった子以外とはどう接していいかわからない。
いろんな子と仲良くなりたいけど、人の目が怖くて自然にふるまえない。
小学生の時はそんなこと頭にも浮かばず、気の合う子と毎日楽しく過ごしてた。
学校は友達がいるけど、そのころから塾ではぽつんとしていて、でもそれもそんなに気にしてなかった。
人と関わるのは好きなんだけど。でも関係を築くまでにものすごくパワーを必要として、仲良くなったとしても長時間一緒にいるのは疲弊してしまうからどうしても一人になる時間が必要。
なんでかなぁ。他の人はとっても楽しそうに大勢の人と打ち解けているのになぁ。私もこうなるにはどうしたらいいのかなぁ、と無意識に比べては悩んだり落ち込んだり。そして開き直ったり。
そんな生活を続けてきました。
それが大人になって、というかここ数年で、「内向型」という言葉に出会い、とても腑に落ちたのでした。
ああ、こういう気質なんだ。
そう思ったら、なんだか素直に受け入れることができて、肩の力が抜けたような気がします。
何が書きたかったかっていうと...…
体質とか、気質とか、心身の病気とか、それに名前を付けて「こういうものなんですよ」って説明されると、安心する部分がありますよね。
だから人はその名前をほしがるのかな、なんてふと思ったのです。
先日英会話で新しい先生と話していて、その方は一人暮らしなのだけど毎日とても忙しくて趣味にそそぐ時間がなかなかとれないとおっしゃってました。
仕事で時間を割いているのかと尋ねると、そうではなく「掃除」だと。
「私、OCDなのよ」
という先生。なんとなーく言いたいことが汲み取れたのですが、ねんのため調べてみると、Obsessive-compulsive disorder(強迫性障害)でした。
潔癖ってことですよね。
もうひとつにたようなエピソード。
これもつい最近、大学時代の友人とお茶をしていて、娘さんの言動が理解できないという悩みを聞きました。
自分の部屋が片付けられない(テレビで特集されてしまうようなレベルの汚さ)、勉強に取り組まない、など。
本人は掃除の件も含め「やる気はある。あるのだけれどできない」と主張するそうです。
けっこう本気で悩んでいて、何か脳みその構造的にそれが難しいという可能性も考え始めたという彼女。
理解できないとは言いつつ、自分にも心当たりというか、似たような気質があるのでなおさら。
友人は数字の桁が4つ以上になると、咄嗟に理解できないのだそうです。
自分で気になって調べたら、ディスカリキュアという名称があるのだとか。
大学からずっと仲良くしてきて、そのことを聞くのは初めてだったのでちょっと驚いたのですが、私たちの日常生活にはそんなに支障はないのでよかったし(買い物の時必要なら計算機使ったりゆっくり考えたりすればいい)、本人も割り切っているので大丈夫そう。
こんな風に、自分の生きづらい部分と折り合いをつけながら、みんななんとか生きてるのかなぁ、と思うことが重なったので今日は書いてみました。
余談ですが、私の紫外線過敏が本当にひどくなって会社に行けなくなってしまったときに心療内科でついた病名は身体表現性障害でしたね。
今日も穏やかにいきましょう。
それでは。