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死を意識すること

昨日は2週間ぶりの鍼治療。
娘の幼稚園が決まったことや、今の心身の状態を先生に話しました。

1週間ちょっと前から何となく心に浮かんでいて、何かあれば自分を説得する材料にしていたけれど、人に話すといい思いはさせないだろうな、という考えがあったので、それも話すことに。

記事の中に書くのも迷いましたが、noteは発散の場として利用しているのでまぁいいか、という気持ちで書いておくことにします。

根拠や明確なきっかけがあるわけではないのだけど、ある数字が頭に思いついて、「私、その歳くらいで死ぬんじゃない?」と思ったのです。今から数年後です。

あと数年でこの世を去るんだったら、苦しいことも全部そこで終わるんだから、まぁ、あと少し堪えればいいわけよね。がんばってがんばって何かを成し遂げるために努力して、苦しんで人と比べて追い付こうとして、悔やんで羨んで妬んで自分をよく見せようとして...…なんて、そんなこと別にしなくてもいいじゃんね。というふうに、一周して戻ってくることができる気がするのです。

そんな考えが頭の片隅に常にある、と言う話を人にしたら、多分「もうすぐ死ぬなんて言わないで」という人がほとんどだろうし、まずそんなこと言われたら面倒くさいと思うでしょう。だから、極力言わないことに決めていました。

でも、鍼の先生にはむしろ、今の私の体調と精神状態をきちんと話した方がいいと思ったので報告。

すると、予想していなかったコメントが返ってきました。

「実は、死を意識するって、大切なことなんですよ。みんな、今の生活がこの先もずっと続くと無意識に思って生きているでしょう?だから、急に近い関係の人が亡くなったりしたときに、後悔するんですよ。『もっと会いに行っておけばよかった』とか、『大切にすればよかった』とか」

思いもよらないところからボールが飛んできたので一瞬フリーズしましたが、なんだか納得のいくお言葉。なるほど、確かに...…。

でも、今の私の考えは、「辛い状況下で自分を落ち着かせようとして、そのような意識に至っているので、よい心掛けと手放しで言うことはできないですけどね」と。最後には、「できる限り負担をかけないように、自分を労わって生活してください」という労いの言葉をいただきました。

例えば今、明日死ぬとわかっても、特に後悔はしないかもしれません。人生を謳歌しつくしたとか、幸せいっぱいだったという意識はないけれど、それなりにがんばって生きてきたし、苦しいことも終わるからまぁいいかな、という感じ。よしあしはわかりませんが。

まとまらないので終わります。
よい日曜日を。

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