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台風で大変ななか「愛雨」とか言ってみる。


私は雨の日が結構好きだ。

雨が降ると晴れた日より9割くらいは自転車に乗っている人が減る。その人気のない静かな道を、雨が地面に打たれる「シャー」という音を聞きながら、雨合羽姿で自転車に乗っている私がシャーと静かに通る。

車も雨音を立てながら静かに道路を走っている。スピードを出そうとしていないのが分かる。皆が静かにゆっくり移動する中、雨の音だけが聞こえる世界はまるで時間も忙しさも無く、自分達だけが取り残されたような虚無の世界にいるような気がする。それが自分にとってはとても心地が良い。


時々、雨で顔が濡れて嫌な表情をしている自転車に乗ったおじさんとか、同じく合羽姿の自転車に乗ったお母さんを見かける。虚無空間でも目的があって進んでいく「同志がいる」という気がして嬉しくなる。

雨露に濡れても咲いている朝顔に出会う。先月まで枯れ気味だったあそこの朝顔、たぶん子供が水をあげてなかったせいなんだろうけど、雨のおかげでやっと咲いたんだね、と嬉しくなる。

公園の木、雨宿りできそうだな。なんだか雨からひっそり守ってくれているみたいだな、と自然界の親分を見つけた気になる。

雨が降ったときの日常の風景変わりように気付き、感じることが私の雨が好きな理由なんだろうと思う。


私の10年選手の雨合羽も最近の強い雨に負けそうになるから、行きも帰りも自転車通勤20分は当然濡れる。濡れないのが嫌なわけじゃない。私の顔も体もびしょびしょだけれど、帰りは家に帰ってお風呂に入って暖かいお茶を飲めばいいやと思う。最近暑くて大汗かいて仕事しているから、シャワー代わりじゃないのかとさえ、汗っかきの私は雨を肯定的に捉える。


雨が降って自分が濡れることより、降らないで水が地球上から干上がることの方が心配。

人間である私はただ濡れない用心をして、濡れてしまったらただ拭いたり着替えれば良いだけだ。雨を降らせるかどうかはコントロールできないから、ただただコントロールできる範囲で小さくがんばる。そんな自然なことに対して、小さく頑張ることしかできない自分に気付く機会を与えてくれた雨にすら、感謝を覚える。


そんなことを夫に言っていたら、「災害が起きたら真っ先に死ぬ人の思考だね。」と言われた。

最近の雨はすぐに強く降るから、私の好きな雨はのんきに好きとも言えなくなってしまったみたいだ。そう言われてなんだか悲しくなった。台風とか、大嵐が好きだと言っている訳じゃあないのになぁって。


休日の今日は、雨が降るからと何も予定を入れないで子供と家にいる。時々雨が降ったり止んだり。

雲ひとつなくて晴れ上がった日も「何かやるぞ!」という気になって嬉しいけれど、雨の日の世界が閉じたような天気も好きなんだよって誰かに言いたくなった。

最近、友人も職場の人も夫も、台風に伴う雨に愚痴りすぎるのを聞いてふと思った、雨に対する自分の考え。「雨が降っただけでガタガタ抜かすんじゃねーぞ!」が唯一の本音で。


題名は調べたら出てきた単語。こんな言葉があるのなら、きっと狭い日本にも雨を私よりも好きな人がいるのかなと思うと救われる。忘れないでおこう。

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