スタバで出会った耳の不自由な店員さん
今回は雑記です。
懸命に働く姿に思わず心が震えました。
でも、それは失礼なことかもしれないと思って、まぶたに溜まった涙をグッと堪えたのです。
初めての指差し注文
先日行きつけのスタバで耳の不自由な店員さんに出会いました。
彼女はレジを担当していて、
注文しようと私がカウンターの前に立つと
「耳が不自由なので、指差し注文のご協力お願いします!」
と、大きな声と共に指差し注文用のメニューを差し出しました。
「指差し注文ってなんだ?!」と一瞬ドキドキしたものの、
差し出されたメニューには
「アイス」「ホット」や
「トール」「グランデ」など
スタバ注文に必要な単語が可愛いアイコンとともに記載されていて、
いつもと変わらずスムーズに注文することができました。
しかしその注文中も私の心臓はドキドキしっぱなしで、
声は出すのかな、伝わりづらい注文になっていないかな
耳の不自由な方がレジ担当されるって大丈夫なのかな
あ、ソイラテがメニューにあるのに「カフェラテ+ソイに変更」って複雑な注文しちゃった、ごめんなさい
とかとか。
とにかく色んな考えや感情がぐるぐるして、やたら落ち着かない気持ちでいました。
感動した気持ちにフタをする
そして、支払いが完了して
「ありがとうございました!ドリンクは右手でお受け取りください!」
と大きな口でニカっと笑ったその店員さんの笑顔に、グサッと胸を刺された気持ちになったのです。
なんだかその店員さんがやたらと美しい存在に思えて、
まぶたの裏に涙がこみ上げてくるのを感じました。
しかしドリンクを待つ間、
私は必死でその気持ちを押し殺していました。
普通にカフェでバイトして、
普通にドリンクの注文を対応して、
その姿に私が感動してしまうのは
「耳が不自由なのにレジのバイトなんて大変に違いない」という思い込みが私の中にあるからでした。
その店員さんとのやりとりは予想以上に全然スムーズで、
私の気持ちが落ち着かない以外は、他の店員さんとのやりとりと何も変わらないものでした。
「彼女のことを美しい」と思うその心自体が、
偏見にまみれているようで、恥ずかしい気持ちになったのです。
職業柄「多様性の価値」を色んな場面で話すことがあります。
国を超えた価値観や文化に配慮しようとか、
日本人同士でも思考や強みやみんなそれぞれ違うんだから、それを認めあっていこうよと。
しかし、この時の私は果たしてそれが出来ていたのでしょうか。
多様性はその言葉以上に本当に難しい概念で、
実際に違いに触れてみないとどんな違いがあるか分からないし、
それを受け入れられるかどうか、ニュートラルに違いを捉えられるかどうかは実際に遭遇してみないと分かりません。
私がこの時感じた彼女への憧れのような気持ちは、間違いなく自分の中に自然に生まれたものではあったけれど、
自分と違うものを「特別なもの」だと思う心は、差別的な意識から生まれたのではなかったのでしょうか。
「素敵ですね」とか
「頑張ってください」とか
本当はそんな言葉をかけたかったけれど、
彼女の気持ちを無視した、偏見家のエゴ丸出しの行為になるような気がして
心の中で必死にフタを閉じようとしていました。
いつもどおりの「ありがとう」を伝えたい
この出来事の後、
「あの日、本当はどうしたらよかったんだろう」ということを時折思い返します。
私は普段コンビニやカフェなどで店員さんにレジ対応をしてもらった時、
なるべく「ありがとうございます」という一言をかけるようにしているのですが、
思い返すとあの日、いつも通りの「ありがとう」を伝えられなかったことに気づきました。
「ありがとう」の代わりに笑顔を作って大きめに会釈をしたけど、彼女には伝わらなかったかもしれません。
「今度はきちんと伝えよう」
そう思った私はYoutubeで「ありがとう」を意味する手話を覚えることにしました。
左手の甲に立てた右手を垂直に上げるその動作は
テレビなどでも良く見る代表的な手話で、
これまでも何度も何度も目にしてきたはずなのに、この簡単な動作ができなかったことを悔しく思いました。
次にスタバに行って、
もしまたあの元気な店員さんに会えた時は
かならず「ありがとう」と伝えよう。
まずはそこから始めたいと思います。
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