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あれから1年。

机周りの書類を整理していると、2枚のルーズリーフがひらひらと落ちてきた。水を含み、ところどころがふやけているその紙を手にとってみると、

「生きたい、生き抜きたいけど苦しい、助けて」と綴られている。

強迫性障害という、わたしの苦しみに名前がつく前の心の叫びだった。頭の中にこの叫びを置いておくと、叫びが思考を全て占拠しそうで、紙に書き起こしたことを覚えている。

「私の好きって何、楽しいって何、ワクワクってどんな感情なん」
こんな叫びもあった。

そうだ、あれから1年が経った。
病院に行くか、行かないかの判断も出来なくなって、母に勧められて泣きながら診療所の予約を取り、精神科を受診してから。

まだ1年しか経っていないのか、、。いや、もう1年経ったのか、、、。といった、両極端な感情が私の中に入り混じっている。

そういえば、寛解という言葉をお医者さんから告げられてからは、半年と少し経ち、再発をしてからもそろそろ4ヶ月くらい経つ。

こうやって月日が経つと、あの時の苦しさがどの程度だったのか、もはや幻想だったような気もしてくる。当時の自分を俯瞰して、「私よりももっと苦しい人だっているから」なんて言葉さえ出てくる。

けれど、自分が書き殴った文字の羅列を眺めてみると、かなり激しい苦しみに自分が溺れていた事がよく分かる。

「好きって何」「楽しいって何」「生き抜きたいけど苦しい」
そんな自分の言葉から、あの時の私は生きる希望を失っていて、自分という存在に絶望していたことを痛感させられる。

そうだった、何もできない自分を受け入れるということがこんなにも難しいことだったなんて、あの時の私は知らなかったんだ。
起きられない、ご飯が食べられない、人に会うことが怖い、眠れない、、というように、当たり前にできていた事ができなくなった、そんな自分を受け入れること。何かの条件付きでもなく、無条件に自分のことを自分のまま受け入れること。
辛い、苦しい、悲しい、そんな感情も私の一部だと受け入れること。
強迫性障害になって、1番難しかったのはこの営みかもしれない。

分かったつもりになっていた、知り尽くしたつもりになっていた、自分という存在を、私が1番知らなかったことにも気付いたんだった。

この強迫性障害という病気を、私の内側のカテゴリーの1つとして受け止めて、症状と付き合えるようになってきたのも、ごく最近。たまにお薬に頼ることもあるけれど。

そう考えると、この1年は、あっという間ではなかったように思える。
頭の中には色濃く残っていなくても、手元の手帳やノート、日記にはたくさんのその時の感情が色濃く残っている。
ただ生きるということに必死だったから、気づけていなかったけれど、この1年は濃い1年だったのかな。

失った、生きる希望を、自分を知りながら取り戻した1年。
好き、楽しい、という感情を、沢山の感情と向き合いながら取り戻した1年。

そんな多様な名前を付ける事ができる1年を過ごしてきて、「助けて」と叫んでいた1年前の自分に、今、どんな事が言えるのだろう。

大丈夫、苦しさもいずれ軽くなるよ、なのかな。

いや、なんだか違う。

頑張ってるね、偉いね、辛かったね、なのかな。

それも違う。

1年前、助けてと叫んでいた自分に、何かを伝えられるならば、

「生きていてくれて、有難う」

という言葉以外はないのかもしれないと、あれから1年を生きた私は感じている。


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