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紅葉が落ちた後

少しだけ見上げた街の姿も、SNSも暖色で染まる時季になった。

木々の葉が色づいて人々を魅了し、カメラを構えさせる昨年のこの時季、母が私の住む場所へ訪ねて来たことを思い出す。

私がその地域に住む最後の1年だったこともあり、色んな紅葉の名所を巡り、美味しいものを食べ、卒業式の着物を決めたな。

ちょうど、今住む土地に引っ越しを決めたのも昨年の今頃だったと、手元の液晶画面が教えてくれる。

あの時と同じように、今年もSNSが暖色に染まり始めた。

もう1年が経ったのか。

もう2022年は終わりを迎えようとしているのか。

年齢を重ねるごとに、いや学生が終わると、1年を早く感じるようになると言うけれど、あれは本当だったんだと衝撃を受ける。

最近、この年齢という数字が心の足枷になっていた。

何をするにも「もう24なんだな」と、「来年は25なんだな、30なんてあっという間に来そうだ」と、少し鬱々とした気持ちが心を漂っていた。

数年前まで抱いていた「20代半ば」のイメージとはかけ離れている自分が今ここを生きている。

「誕生日をあまり喜べない、歳をとりたくない」と言っていた祖父母や両親の気持ちが今ならちょっとわかる気がするんだから、やっぱり大人になったのだろうか。

最近、「若くして何かを成し遂げること」がよくメディアに取り上げられているように感じる。

それ故に「若い」という付加価値を最大限活用しようと、その賞味期限が薄れて切れることを恐れて、自分の年齢を直視できずにいた。歳をとることが少し惜しいような気さえした。

そんな自分をぼーっと俯瞰していると、「豊かさ」よりも「華やかさ」に自分の視線が向いていたのだと気づく。

まるで紅葉の名所巡りのように、物事の「華やか」で「綺麗」なところばかり見ようとしていたのだと思う。

名所にわざわざ赴かなくても、街中や公園の木々たちも懸命に色づいているというのに、身近な「豊かさ」を見落としていた。

「若さ」というものはいずれ無くなる。

そんないずれ失う「若さ」を憂うよりも、「若さ」を失った後に「深み」や「豊かさ」、「味」が残るような生き方をしたい。

紅葉が落ち葉となって木々が寒そうな姿になった姿を見て、生命を感じ、美しいと感じられる人間でありたい。

華やかな紅葉もいいけれど、道端の木々の色づきもいいよね、SNSに並ぶ似たような画角の紅葉写真を見ながらそんなことを考えていたら、人生観まで考えさせられた。

かみつれ日記 2022.11.21

そんな今日、紅葉のような色のWebサイトが出来上がりました。まだまだ使いやすさなど改良の余地はありますが、ひとまず。
良ければご覧ください。

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かみつれ

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