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いじめが齎した結果とは

最近よく夢を見る。それらはすべて悪夢だ。

私は学生時代、バレーボール部に所属していた。
中高一貫の女子校だったので、弱小だったが顧問のおじいちゃん先生だけは
目が本気だった。

私は入部したては上手いほうだったけど身長は高くなかった。
だから一番に選ばれるとかではなかったけど、先輩が少なかったからいつも試合には出ていた。ちなみにセッターだ。

中学2年生まではなんとなく自分でも「私ってバレー好きなんだな」とか
「楽しいな」とか思っていた。
私の学生生活の歯車が狂い始めたのは中学3年生である。

私はサーブレシーブが特に苦手で、後衛に回った瞬間弱小へたくそ野郎に成り下がっていた。なんだったらチームのお荷物になっていた。頼むから自分のところにサーブが来ないでくれとずっと願っていた。

ある日の練習試合で、めちゃくちゃサーブで狙われた日があった。
私のせいでそのセットを落としたといっても過言ではないくらい狙われた。

当時の同級生のキャプテンは、身長もプライドも高く、ご両親も立派な職業をされててとても甘やかされて育った子だった。
その子の癇に障ったのだろう、ボールを投げられ、キレられた。
なにを言われたのかもう覚えていないが、投げられたあとの凍った空気だけは忘れられない。

その日から私の壮絶な「いじり」が始まる。
最初10人ほどいた同級生は高校2年生になるころには4人まで減っていた。
部長を決める際、顧問の先生は私を推薦してくれたが、そんなことキャプテンのプライドが許さない。私に与えられたものはすべてかっさらっていった。そして面倒くさい手続きは副キャプテンである私が担っていた。

女子高で生き残る術として、いじられキャラ以外の方法が私にはわからなかった。そしてこの頃には無様ないじられ人形が爆誕していた。

彼女たちのいじりは日に日に強くなり、私は後輩にもいじられて、いじってない人たちが気まずそうに笑っている光景が毎日だった。
ただ、なぜかいじられていた内容だけが思い出せない。

練習でも、毎日のようにキャプテンと先生から怒鳴られ続け、精神は崩壊寸前だった。
ここまで耐えていても、後輩には「あれ?(私)さんが副キャプテンだったんですか?とか言われる始末。
今となればこの時点で逃げるべきだった。期待なんて抱くべきではなかったし、下手な私が悪いわけでもない。バレーボールに固執する必要もなかった。けど本当に視野が狭かった。学生のよくないところで、この場所しか知らなかった。

毎日のように熱が38.0℃でて、授業はまともに受けられない状態でも
部活を休めば怒られてしまう。でも部活だけ行く事も怒られてしまうので、
5、6時間目から学校に行き、部活をして帰る日々だった。
さすがに保健室の先生も死ぬ気でとめてきたけど、休む=存在価値を失うことだと思っていた私はとめられる手を振り払い部活に行った。

自尊心なんてものは完全に失い、プライドなんて言っている間もなかった。
ただ泥水に顔面をたたきつけられ、足で押さえつけられている感覚だった。

ここでようやく、親と保健室の先生が顧問の先生に直談判しにいき、私は休部できることになった。ただ、私は「ああ、これで人生終わったわ」とか考えていた。いじられて、怒られることしかなかったあの体育館が私のすべてだったのだ。

少し部活から離れてみると、徐々に楽になっていっているきもちに気付いた。そのころには教室にも入ることはできなくなっていたけど、「生かされている」みたいな気持ちで毎日保健室に通って授業の内容を自習していた。

そして、高校3年生になったころ、同級生のチームメイトから「引退までの2か月だけ一緒にバレーがしたい」と言われた。「何が傷つけていたのかも教えてほしい」とも言われた。
本人たちはいじりの度が過ぎていたことも私を追い詰めていたこともまったく自覚がなかったのだ。

私は2か月だけ戻って綺麗に部活人生を終えようと部活に戻った。
これでOBにもなれるし、と思っていた。

2か月間は特に何もなく無事引退を迎え、私たちは卒業した。
卒業後、4人とも別々の大学に行ったが、1、2年くらい夏はみんなで集まり部活に遊びにいっていた。
会っていない時もちょこちょこLINEは動いていたが、8割くらい私へのいじりだった。

そこからそれぞれ忙しくなり、あまり会うことはなくなったが、
社会人1年目の夏、キャプテンと二人でOB会に行くことになった。
めちゃくちゃ久々だったので、楽しみと緊張が入り混じっていたが、
キャプテンは会った瞬間から不機嫌そうだった。

私が話しかけてもほぼフル無視で、キャプテンはずっと仲のいい後輩と話していた。
なぜだったのか、いまだに理解はできていないし原因もわからない。

そして私が後輩たちとバレーをしているとき、後輩が打ったボールが
私の顔面に直撃した。その瞬間、まわりが引くほどにキャプテンは笑い出したのだ。「さすが、変わんないね」といい一人だけ大爆笑していた。

その光景が異常すぎて、私は怖くなった。
そしてこの人たちとはもう縁を切ろう、とようやく思った。

その後すぐにLINEグループを抜け、部活に行くのもやめて
もう今は部活に関わっていた人間誰とも連絡を取っていない。

ようやく呪縛から解き放たれた気がしたが、人生はそんな甘くなかった。
その後待ち受けていたのは、その頃の悪夢に度々うなされることだった。

卒業してもう9年ほど、ブロックして5年ほど経つのに
悪夢を見る日は決まって鮮明に彼女たちがうつっている。

そして私は今バレーボールに少し苦手意識をもってしまっている。

キャプテンは今楽しそうに韓国モデル兼インフルエンサーをやっているが、私は悪夢に苦しんでいる。
こんなことを言ってもしょうもないが、本当にやられたほうが損をする世の中だな。

もう開放してくれ、と思うけどたぶんまだまだ無理そうだ。
もしこの記事を読んでくれた学生がいるなら、しんどいならとりあえず逃げるということを徹底してほしい。
絶対に「居場所はここしかない」なんてことはない。世界はもっとひろい。
大丈夫だから本気で逃げろ。じゃないと一生苦しむ可能性が高くなる。

こんなことをしても意味ないのかもしれないが、少しでも昇華されることを
願ってこの記事をここに置いておく。


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