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深夜4時前に道でおじいさんに話しかけられた話

最近ニートを極めまくっている躁うつ病の私は、外に出れる日もわりと少なく、外に出るとすれば呑みに行くか、自分のやりたいプロジェクトの相談に行くか、の二択だった。

ここ最近は著しくうつがひどく、初めて「家から出れない」をかなりの数経験した。本当にしんどかった。朝起きれない。起きても何か食べてないと落ち着かない。夜は薬を飲まないと泣きじゃくって過呼吸で寝れない。

正直うつ病をなめていた。呑み歩いてればそのうち、とか好きな音楽があるし、とかやりたいことがあるし、とか思っていた。
本当に、想像を絶するくらいしんどかった。
頼る人も、もう私にはいなかった。

ようやく家を出れるようになり、はじめは夜に近くのコンビニに行くところからはじめた。
そしてタイトルにあげたこの日はだいぶしんどさもまぎれ、一緒にのんでくれる仲間を連れて朝まで呑み→カラオケという王道コースを過ごしていた。

でも崩れる瞬間なんてものは本当にどこだっていつだってやってくる。

みんなといるときは本当に楽しかった。笑っていた。
深夜4時ごろ、一人家の方向が違う私は彼らに「ばいばーい!」って元気よく挨拶をして笑顔で一歩を踏み出した。
私はわりと大きな駅前に住んでいるので、道に並ぶ店や看板で少し明るい道を歩いていた。
歩けば歩くほど、「それ」は容赦なく襲ってくる。

「それ」に出会ったのはここ最近ほんの数週間前だ。
呑みに行った帰り、空になったお財布を見て思った。
こんな生活を続けていっちゃだめだ。「今」私は私に向き合わないといけない。
陳腐だけどそう本気で思った。

なぜ私は今ひとりなのか。なぜ私は元カレたちを乗り換え続け、そして最後は寝取られたのか。なぜ今こんなにも傷ついて、傷だらけで、なぜ今こんなにも平気なフリをして笑っているのか。必死に考えた。考えれば考えるほど元カレたちの存在が色濃く脳裏に映ってくる。

気付けば元カレたちはずっとヒントをくれていた。お前はいつか一人になるのだと。身をもってヒントをくれていた。
人格の否定、容姿の否定、感情の否定、思考の否定、女性としての否定
今までに受けた否定が頭の中に浮かび上がる。

単にこれだけ見たら、モラハラとか言って元カレたちを責めたくなるが、今までの元カレたちは最後のほうには決まって私を否定をしていた。
ということはきっと彼らが悪いのではなく、私が本当に否定したくなる人物だったのだろう。

そんなことを理性で考えたってこれを受け入れようとすると吐きそうになって息ができなくなる。全部自分が悪いのに。
「そんなことないよ」待ちなんかじゃなく、本当に「彼女にはしたくない」人格で、容姿で、感情で、思考で、女性なんだろう。
そりゃ振られるよな。そりゃ誰も好きにならんわな。分かるわ。
とか思ったらもうどうでもよくなって、本当にしんでしまいたくなって
もう本当になにがなんでもどうでもいきてもしんでもどうだってよくて
わけわかんなくなるんだ。

単純な話だよ、ダイエットして、メイクかわいくして、服買って髪の毛綺麗にして、お金の管理きちんとして、前向きになって、キラキラしたらいいってことだろ?普通の健全な女の子になれってことだろ?
彼氏なんていなくたって一人で生きていける女の子になればいいんだろ?
わかってんだよ、だけど気付いたら吐くぎりぎりまで食べてんだよ。
気付いたらのみにでてんだよ。気付いたら手首切ってんだよ。
恋愛でしか生きてこれなかったから、どう生きていいのかわかんないんだよ。
だったらしねばいいよな。わかってんだよ。でもしねないんだよ。
誰か殺してくれ、もうしにたい、生きるべきじゃない。とか思っても
死ぬのは一丁前に怖いんだよ。


話を戻すが、こんな感情が「それ」の正体で、この日も歩きながらこんな感情が湧き出て涙が出そうになった。
だけど夜中に道端で泣いてる女になりたくなくて我慢してた。
あの車の前に飛び出せば、あのビルの屋上から飛び降りれば、ケーブルで、とか考えたけどでも全部迷惑だよな、いや単に怖いだけかよ、とか思ったり。
そうやってぐるぐると考えながら必死に歩いていた。

そしたらさ、前からおじいちゃんが歩いてきたんだよ。一人で。
何でこんな時間に?とか思うじゃん。でも私イヤホンつけてたしそのまますれ違おうとしたら、おじいちゃん、私に何か言ってて。

立ち止まってイヤホンとって聞き直したら、おじいちゃんさ、
「晴れはええなあ!」って言ったんよ。
私、結構驚いてさ、空見たら確かに晴れとったんよ。雲ちょっとだけあったけど。「そうですね、いいですよね!」って答えたら、おじいちゃん、笑って「連休が雨やったらかなわんやろ」って言ってさ、そういえば世間は連休だったなって気付いて。「ああ、そうか連休ですね、連休雨は嫌ですね」って復唱したんよ。そしたら「雨やったら家でこもっとかなあかんやろ、家とかカフェでな、こうやってこもっとかなな、でも晴れやったらどこでもいける!晴れはええなあ」って言ったんよ。「晴れ、いいですね。気分がよくなりますね」って返したら、「せやろ、ええやろ、ありがとうなあ」っておじいちゃんまた歩き出したから、私もお辞儀してイヤホンつけて反対方向に歩き出したんよ。


歩きながらさ、涙止まらんかった。
おじいちゃんがどんな人生を生きてきたのか、今認知症なのか、健康なのか、そんなの何にも知らない。ただすれ違ったおじいちゃんが私に、こんなクソみたいな死にぞこないの、どうしようもない私に「晴れはええなあ」って言ったんよ。その事実に私は人の目もくれず声出して泣いた。

もう少し生きたくなってしまった。世界は捨てたもんじゃないかもって
単純だけど思った。どんな自分であれもう少しもう少しって思った。
だって「晴れはええなあ」って。おじいちゃんが。
そんな世界、愛しくなるやろ。手放したくなくなるやろ。


生きたくなってごめん、死にたかった自分。
もう少しだけ人生付き合ってくれ。マシな人間になるよう
努力はするからさ。


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