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ポスターの告知に人生賭けてみた結果、世界が変わった

M2の夏、日体大の掲示板に貼られた
1枚のポスターの告知が目に止まった。

「2020年のオリンピックで活躍する
ポテンシャルを秘めた有望な選手を見出す為、
全国で選手発掘プログラムを実施します」

日本スポーツ振興センター主催で
このような告知が出され
日体大のキャンパス内でも
一次選考の体力測定が実施されるというのだ

ラグビーを辞め
オリンピックへの夢を
半ば諦めてかけていたこのタイミング

私の中で迷うことなく

「これに最後、オリンピックの夢を賭けてみるか」  

と、すぐに応募するに至った。

勿論、きっと大変な道だ

何せ、全国から集まる競技者たちから
たった何名かしか合格できないんだから。

それでも、頑張ってみたかった

自分に本当に合う競技が
何なのか見つけたかったから


このトライアルが何か人生を変える挑戦に
なってほしいという思いで
まずは一次選考への準備をした

日体大のキャンパス内でも実施される一次選考

パワーとスピードを測る体力測定だった

パワーは
エアロバイクに似たパワーマックスというマシンで
30秒全力で漕ぎ切る
ウィンゲートテストの数値

スピードは
20mランのタイムによって計測するという

スピードはラグビーの件もあって
たかが知れている

ならパワーで勝負しようという判断になった

というわけで
応募してから1ヶ月間
ひたすら青学のトレーナーさんの元で
ウィンゲートテストの対策トレーニングを行った

そして迎えた本番の日

対策トレーニングの成果がしっかり出て
パワーの数値でワールドクラスを叩き出した
世界を目指せる数値だったのだ

やった…!!
これならきっと通過する…!!!

かなりの達成感だった

私は満足しながら
秋あたりに出るという2次選考の通知を待ち
夏休みはコーチ業と院の勉強に励んだ

そして、10月

ボート
自転車トラック
カヌースプリント


この3競技から2次選考への通知が届く

2次選考期間以降は
日体大に協力をお願いし
トライアル合格に向けてのチームが組まれ

走力や筋力向上の為の
専門コーチやストレングスコーチが
それぞれついてくれて
かなり手厚いサポートを受けられた

一時的に日体大の
陸上部短距離チームの練習にも参加することに

ここで、後々
リオのパラ五輪で銅メダル獲得を成し遂げる
重本(旧姓 : 辻)沙絵選手とも出会い
一時的にだが一緒にトレーニングしたことで
かなり刺激を貰えた

そういった心強い協力も得られたことで
私はこの時点で既に

よし、最後まで残った競技を始めよう

と、覚悟を決めた。

とはいえ、何となくその時点では
ウィンゲートテストの結果的に
自転車トラックになるものと思っていたが(笑)

この時は上半身の筋力より
下半身の筋力の方がずっと自信があった

しかし、意外や意外

ボートは2次予選の体力テストで脱落

自転車トラックは2次予選は通過したが
3次予選の伊豆市サイクルスポーツセンターでの
3日間の合宿審査で脱落
(※ベロドロームで自転車を漕ぐことはそうそう出来ないから良い経験にはなった)

結構もうここまでかと追い込まれたが

カヌーは2次予選の体力テスト突破

この時点でタレント発掘トライアルは
110名中3名まで絞られていた


そしてカヌースプリントの最終選考
私は、12月下旬からたった1名で
約2ヶ月の合宿審査に招集された

合宿場所は赤羽駅付近にある
ナショナルトレーニングセンター(NTC)
日本のトップアスリートたちが集結する場所だ

大学バレー部時代に
青学が全日本代表選手の相手チームとして呼ばれ
何度か足を踏み入れたことはあった

けど、まさか
自分がここを利用できる日が来るとは思わなかった

12月下旬はお試し期間とも言える
1週間の合宿開始

1日のトレーニングスケジュールは
1部目 6:00-8:00 テクニック
2部目 10:00-12:00 ウェイト
3部目 15:00-18:00 水上
4部目 20:00-21:00 テクニック

大体毎日こんな感じだった

4部練習なんて人生初で
やり切れるか不安な気持ちもあったが
ここまで綿密に計画的に
自分の為だけのメニューが組まれることに
かなりワクワクもしていた

記念すべき1冊目のカヌースプリントノートを作成
(※合宿内容はこのノートを読んで振り返っていく)

一次合宿の選考基準は
①テクニック
・基本動作の習得
・水上(プール)でバランスを取ってカヌーに乗る

②フィジカル
カヌーに必要なウェイトトレーニング、有酸素運動についていく

③アスリートメンタル
メンタル面での自己管理、食事に対する考えetc...

この1週間はまだまだお試しで
まずは楽しみながらカヌーに触れる
そういうコンセプトだったので

私は現在もお世話になっている
ナショナルのコーチとマンツーマンで
朝から晩まで付きっきりの
手厚いトレーニング指導を受けた

結論から言うと
一次合宿は難なくクリア

二次合宿も頑張ろうと
ほくほくしながら帰宅したものだ

…が、
そこで帰ってきた私を待ち受けていたのは

修士論文の提出締め切りである

正直、執筆に必要な実験は既に終わっていたが肝心の執筆作業は
一連のトレーニングに時間を当てすぎて
全く進んでいなかった

というかヤバすぎることに
提出締め切りが残り20日間を切っているのに

論文データはほぼ白紙…

本気でヤバい…
留年する、このままだと

トライアル合格に向けてのトレーニングのことで
秋くらいから2ヶ月間は頭がいっぱいで
修論のことを二の次にし過ぎたツケが
ここでめちゃめちゃ回ってきてしまった

もっと計画的に書いていれば…!

完全に、前回の話で触れた通り
こういう所で病気発動している…。

けど、そんなこと言っている場合じゃない

とにかく二次合宿までに
せめて8割くらいまでは進めなきゃ!!

一次合宿から帰ってきてから年末年始はずっと
私は日体大の地下研究室に閉じこもり
院生仲間たちと
かなり不健康だが楽しい執筆合宿をした

……しかし

年末年始明け

二次・三次合宿 選考基準
①テクニック
・カヌーの上での基本動作習得
・30秒MAXエルゴテストの記録向上
・200mを落ちないでダッシュで漕ぎ切る

②フィジカル
・水上トレーニングの有酸素、エルゴ、ウェイトトレーニングについていけるか
・ウェイトのMAX数値

③アスリートメンタル
・忍耐力
・習慣
・考える力
・何の為に頑張るのか目標設定
etc…

1月5日から二次合宿に招集されたものの
私の執筆状況は…3-4割程度

はっきり言ってフルタイムで
合宿している場合じゃない

私はコーチやスタッフさんに平謝りし
修士論文の提出日までは
一部練習のみに減らしてもらい
後はずっと執筆に時間を当てていた

※今でこそ謝ります

私は天下のナショナルトレーニングセンター内で
PCルームでしばらくずっと論文書いていました
申し訳ありません(泣)

もうこの時は睡眠もまともに取れないし
短時間で多くの情報量をWardに詰め込むものだから
頭がパンクしそうだったし
かなり精神的に追い詰められていた

一部の事情を知らない院生たちから
「こんな大事な時期に合宿に行ってる場合か」
と叩かれ、この時は結構孤立していたし

私の中に
「留年して審査も落ちてどちらも失う」

「院を修了してカヌー選手になる」

の究極の二択が迫り


頻繁に金縛りに合う夢を見るくらいに
ストレスが限界を超えていた。

けど、絶対に負けたくない
絶対にどっちもちゃんとやり切るんだ…!!
夢叶えてやるんだ!!!


血を吐くような思いで
死ぬ気で15日間頑張って頑張って……

無事、論文は提出できた。

前々から私の体質の事情を既に話しており
研究室の教授が理解者となってくれたこともあり
波乱な執筆期間だったが
どうにか1つの山を越えることができた

その後はまだ、
修論最終発表や口頭審査などの試験はあったが
しばらくは二次合宿審査の方が大変だった

15日間ほぼトレーニングせずに
論文執筆に時間を当ててたものだから
体が動きをだいぶ忘れてしまっていたからだ

おまけにコーチは
一次合宿の優しさから一変し
かなりスパルタの指導に切り替わった

何度、トレーニング中に大号泣したことか

私はエルゴマシンのトレーニングが大嫌いで
1分間漕ぎ続けるだけでもしんどいのに

5分間×5セットのメニューが出された時は
失敗する恐怖のあまり
やる前から泣き出したことさえあった

(((※ていうか今から思っても、カヌー始めて2ヶ月の選手にやらせるメニューではないと思います、コーチ(笑)

この時の私はまだまだ
相当ネガティブで自信も無かったので
心配性な面が強く
しかも強情だから相当コーチも手を焼いた(笑)

疲労のあまり
2回病気発動して朝寝坊し
本気で合宿審査落とされかけたりもした

最初は温水プールの上での練習だったのが
1月下旬からは真冬の川デビューし

サーファー用のウェットスーツを着て
何百回も沈しながら
20kmを6時間くらいかけて漕いでたこともある
(※あの時は完全に無の境地だった)

ようやく合宿最終週を迎えようとしたら
直前にインフルエンザにかかり
3月まで合宿を1週間延期にするなんて事態も起きた

本当に本当に壮絶な2ヶ月を過ごしたと今でも思う

そして迎えた3月の最終審査

・200mスプリントテスト
・30秒MAXエルゴテスト
・ウェイトMAX測定

そして…

私は、全ての審査を突破し、
タレント発掘トライアウトに合格して
カヌーに競技転向した
(110名中1名合格)
これは私だけの力ではない

どんなに私が不安のあまり泣き喚いても
どんなに私が痛い所を突かれて拗ねても
めげずに手厚く指導してくださったコーチ

優しく見守って
時には的確なアドバイスをくれたスタッフさんたち

ウェイトトレーニング指導を
沢山してくれたトレーナーさん

合宿審査中のトレーニングで度々出会い
優しく励ましてくれる
日本代表のカヌーの先輩たち

皆の協力があったおかげだ

諦めずに頑張って
本当に本当に良かった…!!!

そして死ぬ気で書いた修士論文も
無事に審査を通って大学院も無事に修了

学生生活に幕を閉じ
同時にカヌー選手としての人生がスタートした

これが、人生初の成功体験だ

そして、現在のカヌー選手としての
菅原彩花の始まりだったわけだ

あの時のメンタルは
味わったことのない幸福感に包まれていた

努力してやり遂げたという達成感

この経験は今も大事にしているし
恐らくこんな波乱だらけのスタートだったから
私は今もちょっとやそっとじゃ
カヌーを辞めないのではと思う

だって、こんなに苦労して勝ち取った財産を
そう簡単に捨てたくないから(笑)

所詮、これは序章に過ぎない

本当に苦しい戦いは
むしろ始まってからだった

私は、カヌー選手としても
今後5年間
様々な試練が訪れることになる

けど、それはまたの機会に話すことにして

【カヌー選手になるまでの挫折まみれヒストリー】

は今回で終了。

次は、現在に時を戻し
【カヌー選手になってからの思い、これからの夢】

を、エピローグとしてまとめ
一旦締めたいと思う

どうか最後までお付き合いください

#スポーツ #アスリート #挑戦している君へ #人生

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