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できないことを知る大切さを教えてくれたラグビーというスポーツ

「お前、他の競技ならオリンピック目指せるんじゃないか?女子ラグビーとか!」

4年間トレーニングルームに通い詰め、
着々と体力が向上していった私を評価してくれて
トレーナーさんが鶴の一声

最高の全日本インカレを終え、
バレーにも部活にも悔いなく引退できたものの
何となくその後は心にポッカリと穴が空き
ずっと何か満たされない思いだった

しかしその瞬間、はっきりと自覚した

プレーヤーとしての自分が不完全燃焼だったのだ

高校時代に抱いた
全ての未練と悔しさは晴らすことができた

けど、4年間のうちに自然と抱いた
「試合に出たい」という新たな目標は
とうとう達成することなく終わってしまった

どうやら私はトレーニングを積み重ねるうちに

しっかりとその努力が報われ、
プレーヤーとして活躍したいという欲求が、
思った以上に大きくなってたらしい

バレーボール出身である私は身長が173cmあり
4年間の積み重ねによって相当筋肉もついていた

確かに、大柄でパワーがある選手は
条件的にラグビーでは有利になる

当時の、セブンスラグビーという種目は
ほとんどが他種目からの競技転向だと聞いており(※)
ラグビーは全くの初心者だった私でも
そこまで不利じゃないかもしれない。

(※2014年時点の話。現在はジュニアからの経験者が日本代表の殆どであり、凄くレベルが上がった)

何より、同じボールを使った競技だから
ボブスレーとかよりは まだとっつきやすいし…
(※今から思えば何と安直な思考回路だったのか)
うん、試しにやってみようかな

「はい、やってみます!」

その場で即答した私は、
トレーナーさんが色々とサーチしてくれて
このチームはどうだと勧められたことで

日体大の院の入学と同時に

社会人クラブチーム「Rugirl7」に入団した。

今は、活動休止となっているが
当時は日本一の座に君臨していた
トップクラスの7人制特化型女子ラグビーチームだ

今までとは違う楕円形のボールを扱い
基本的なパス練習、コンタクト練習
チーム練習、フィットネストレーニング等

週に4回、葛飾区のグラウンドまで通い、
ニュージーランドの監督の教えの下
様々な練習に取り組んだ。

そして、半年の月日が流れた…

結論から言おう。

私は、1年経っても
ずっと今の自分に違和感を覚えていた。

どうもラグビーってスポーツがしっくりこない。
この世界と自分の波長が合わない

今だからはっきり言うが
チームの人たちとの交流関係も
悪くはないが、良くもなかった

誰かが悪いとか、不満とかそういうことじゃなく
どうしても何かが噛み合わない

この世界そのものに
あまり歓迎されてない気がする…。


直感的にそう感じていた

それだけではない

正直、体格的には有利だと言われていたものの

コンタクトスポーツは生まれて初めての経験
フィットネススキルも皆無…

というかめちゃくちゃ苦手だった

今更気づいた

バレーボールはそこまで持久力は要さず
大学を含め、今までの部活練習でも
ランに重きを置いてこなかった為

20mシャトルランの数値が悲惨だった…

どうやら私に、
持久力系の体力はあまり無かったらしい

持ち味のパワー頼りのプレーが多い割に
痛いことが嫌いだから(笑)
コンタクトには本能的に嫌悪感を覚えていたし

一点にしか集中できない闘牛みたいな性質の為、
視野が狭くて周りを見れず
チームとの連携が全く取れなかった

当然、そんな調子だから
いつまで経ってもスターティングメンバーどころか
あまり試合に出場できず…

おい、ちょっと待て。

突然、気付いてしまった

そもそもバレーボールでも
多角的な視点から物事を判断して
相手コートの1番の穴を狙う技術が
いつまでも身に付かなかったくせに

何でまた私は同じような競技を選んだ?

バレーボールはそこそこ前から始め、
経験年数も何だかんだ重ねていたから
本当の意味でセンスが無くても
自分なりに楽しめていたが

社会人からの経験で
多角的な視点とゲームセンス、
コンタクトスキル、フィットネススキル等
バレーボール以上に多くの能力が求められる
ラグビーというスポーツは…

ギブアップだ

オリンピックに出たくて
即戦力になりたくて競技転向したのに
ラグビーに求められる必要なスキル
私にはほぼ何にもない

何より、このスポーツを
周りのチームメイトのみんなほど
愛せる自信が無かった

彼女たちは常にボールを触り
時間を見つけては、暇さえあれば
パス練習やキック練習を楽しんでいた

自分よりどんなに大きな選手が相手であっても
私が「怖くないの?」と聞いたら、

「全然?むしろワクワクする!」
と、闘争心に溢れていた。

少々、初心者には難しいラグビーのルールを
みんなは把握して、
審判のホイッスルの瞬間には
もう次の体制を整えていた

後々 リオ五輪にも出場することになる先輩は
誰1人寄せ付けないほどの俊足で
14分間広いコートを走り回っていた

全部、私にはできそうもない

色々と敵わないなと
気持ち的な面で諦めてしまった

最低1年間は必ずどんなことでも続け、
辞めないで向き合うことを信念に生きてきたけど

もう、ここまでだ

次の話で詳しくは触れるが、
母校の中学のコーチ業との両立にも限界を感じ

2015年7月、
1年半お世話になった「Rugirl7」を退団した

これも大事な経験だと思う。

若いうちは多様な経験をして
色んな人、もの、事柄に触れ
少々苦手意識を感じることでも
向き合うことに意味があるが、

ある程度 大人になったら今度は

自分は、何ができて何ができないのか
何が必要なのか

あらゆる選択肢から
取捨選択をしていくことも必要になる

そういう大事なことをラグビーは教えてくれた

さて、
ラグビーに未練はそこまで無かったものの…

いよいよ夢を諦めるしかないかと
内心悶々としながら
コーチ業と修論の為の勉強のみに励む日々

そして、M2の8月
日本スポーツ振興センターから掲載された
とある1枚のポスター

そこに書かれた告知が
いよいよ私の世界を大きく変えることになった

ではまた次回!(^^)

#人生 #アスリート #スポーツ #挑戦している君へ

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