推しへの道はデジタルで舗装されている
一年半程前、つまりコロナが流行って夜の世界への風当たりが怪しくなりはじめ、店としてもガンガン出勤させるわけにもいかずに、必然的に暇な日が増え転職をぼんやり考え始めたころ。
私は推しと出会ってしまった。Amazonプライムビデオで。
回し者みたいな書き方だけど、本当にそうだったから仕方ない。
当時、本当に時間を持て余していたので、人生の休暇だ!と映画を節操もなく観まくっていた。
中でも、マイケルジャクソンのドキュメント映画は中々面白かった。ついでに、同じアーティストの半ドキュメントカテゴリで、フレディ・マーキュリーの映画も。(あの曲がカラオケで流れると、お客様と一緒にリズムに乗った地団駄を踏むのが心底バカらしいと敬遠していたけど、フレディにはとんだとばっちり)
そんな感じで、あなたへのオススメ!がアーティストドキュメンタリーと、ライブで埋まり始めたころ。
何の気なしにGLAYのライブを見始めた。偏愛の岐路は、大体こういうどうでもいい選択の積み重ねだと、今は思う。
結果、ドハマりした。
なぜこのタイミングでハマったのか。中学生の頃、クラスメイトが布教として「サバイバル」のシングルを貸してくれた時は「ま、いい曲だけどメジャーだね」と斜に構えた感想と共に返したのに。
あの頃はメジャーに傾倒する自分が許せない、サブカル崩れの血が騒ぎ始めた頃だったのかもしれない。
メジャーに対する反抗心がなくなったのが三十代。そう思うと、一生なにかに反抗しながら生きていくんだろうな、と少し気が遠くなる。
話を戻して、GLAYのことをAmazonプライムビデオで知った私は、無料公開されているライブ3本を毎日エンドレスで流し続けながら転職活動を始めた。
運良く働ける会社を紹介してもらったものの、全く畑違いの仕事、毎日胃の痛みと戦い、体重は激減。
いつものように、帰宅してすぐにAmazonプライムビデオを起動させた。もうこの頃には、GLAYを観て、軽く晩酌をして自分を労って寝るのが習慣になっていた。
そんなある日、公開が終わっていた。
希望も絶望も、Amazonプライムビデオにあったらしい。
この絶望感を味わった日から、私は常に推しの情報を求めるモンスターと化す。
YouTubeに公式チャンネルがある、最初は名前もわからなかった派手なギターの人(HISASHI)は個人チャンネルを持っているらしい、ライブのDVDの時系列は公式サイトに載ってる、apple musicに加入すれば聴き放題?じゃあ加入して、あとは良さそうなDVDを買うか…ファンクラブには特典があるのか…
こうしていつの間にか、沼にダイブしている自覚もなく沼にハマっていた。
推しへの道はデジタルで舗装されていた。そんな時代に好きだから推す、というアナログな感情が原動力になっている。
どんなにデジタル化が進んでも本質的なことが変わらない人間って、変な生き物だな、その数値化できない感情をエンターテイメントとして成立させているのって奇跡みたいなものなんだろうな。
ただ、明るい光に集る虫のように、メジャーバンドにホイホイハマった自分への消化しきれない気持ちも1%くらいはあって、
沼で息も絶え絶えになりながらも、悔し紛れのアイラブユーを綴っていくことが、私なりの推しがいる生活なのかもしれない。
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